80年代とか90年代とか

「そばや」さんにもコメントをいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060720/1153361608だけれども、そこで引用した記事の中の「二極化」という言葉は意味不明。「二極化」というのは、この場合だったら、例えば〈セックスOK〉という極とその反対の〈男女交際それ自体禁止〉という極端が増えて、中間が萎むということでは?
それはそれとして、記事の中のコメントで「バブル」とその後というのが出てきたが、80年代を巡っての、zoot32さんの回想;


わたしが小学校五年生のころだ。年に一度、クラスで配布される、学級名簿があるのだが、ある日配られた名簿を見た、わたしのまわりの生徒たちが、わあっと騒ぎだした。クラス全員が、わたしを見ている。これはどういうあれだ。とてもいやな予感がわきあがり、わたしは、あわてて、手元にある名簿を確認した。わたしの名前。住所、電話番号。生年月日、そして親の名前と職業。あ、これだ。わたしの母の職業の欄には、こうあった。

「コピーライター」

そのまま校舎の窓から飛び下りたくなるくらい、恥ずかしかった。やってくれたものである。なにがコピーライターだ。ふつうに主婦って書けばいいじゃないか。ばかじゃねえの。こんなのさあ、クラス中に、「この子を気の済むまでいじめてやってください」っておねがいしているようなものじゃないか。たのむから、ふつうにしててくれよ。そんな息子のささやかな祈りも届かず、わたしの母は、自称コピーライターとして、学級名簿に輝かしくその名を刻んだのであった。たぶん、広告の仕事とか、してたのかな。知らないけど。名乗ってみたかったんだろうな。コピーライターって。それは、1981年。糸井氏が、「不思議、大好き」「おいしい生活」などのキャッチコピーで、世間の話題をさらっていたころだった。そして、案の定、いじめられる息子。http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060718#p1

但し、1981年はまだ80年代というよりは70年代の延長という雰囲気が濃いような気もする。惹句という意味での「コピー」という言葉が一般に定着するのはこの頃か。既に1983年には、浅田彰氏が糸井重里から林真理子という仕方で時代の変容を語っていた。また、広告文化の一般への影響ということでは、糸井氏よりも川崎徹の役割の方が大きかったような気もする。
ところで、zoot32さんは宮沢章夫氏の『八十年代地下文化論』という本に言及している。zoot32さんの紹介によれば、80年代と90年代(2000年代?)の差異は、「西武セゾン系文化」と「森ビル系文化」の差異ということになる。六本木でいえば、WAVEと六本木ヒルズ。この本は仲俣暁生*1も注目している。仲俣氏が注目するのは、原宿にあった「ピテカントロプス・エレクトス」(が象徴する物事)*2。曰く、

私はピテカントロプスなんて一度も行かなかったし、80年代前半はけっこう、千葉のような地方都市も「どんくさい」なりに面白かった。岡崎京子は下北沢の理髪店の子供だから、むしろ感性としては下町ッ子で、宮沢章夫が80年代における「鹿鳴館」(=近代化の象徴)だったというピテカントロプスなんかより、ずっと面白い遊び場を知っていたはずだ。

おそらく「1980年代」論というのは、論の立て方が間違っているのだと思う。「80年代前半」といわれている時代が面白いのは、当時はまだリアリティのあった「昭和50年代」という言い方で表現されるドメスティックな「どんくささ」と、「鹿鳴館」という譬えがいみじくも言い当てている「近代化」とが同居していた時代だからだ。浅田彰が80年代の「福沢諭吉」だったとしても、その言説に乗っかって行動する人ばかりが生きていたわけではない、ということである

また、

岡崎京子については「80年代」と結びつけて語りたがる人がとても多いけれど、個人的には一度しか面識がないが、それでも岡崎さんと同時代を生きてきたという気持ちの強い私にとって、彼女は「90年代」の人であり、少なくともそうであろうとした作家だったと思う。岡崎京子の「90年代」との格闘を引きつごうとする作家がいないことが私には残念だし、彼女より年長の男たちがこぞって彼女を自分たちの手前勝手な「80年代」に幽閉しようとしていることが、腹立たしくてならない。

この本のおかげで、これまでずっと「擁護」しようと思って力んでいた「80年代」から、私はすっかり解放されたように感じた。自分はもしかしたら「80年代」の人間ではなくて、どちらかといえば「90年代」の人間だったのかもしれない。それでも宮沢章夫が「80年代」を語りつつ、それ以前の70年代に強く拘束されているという意味では、私にとっても「80年代」は無意識に沁みこんでいるはずで、もしも「80年代」を批評の俎上に載せようとするなら、その無意識をこそ分析しなくちゃならないんだろう。

岡崎京子が「80年代」ではなく「90年代」に属する人だというのは賛成。「80年代」といえば、(私にとっては)寧ろ玖保キリコさんだろう。また、仲俣さんは『シティ・ロード』の人であって、私にとって『シティ・ロード』という雑誌は「80年代」を構成するそれなりに重要なアイテムであったというのは横に置いて、「90年代」というのを実体化するのはどうよという感じはする。仲俣さんは「80年代」を

あえて明治時代になぞらえていうなら、85年のプラザ合意と、国鉄民営化に対して「起こらなかった」幻の政治闘争がもしかしたら「西南の役」だったのかもしれない。ともかく、「昭和50年代」でもあった84年までと「1985年以後」は、まったく違う時代である。
と指摘していて、これは首肯に値するのだが、「90年代」というのは「80年代」的なものが崩れていった、緩慢或いは急速な過渡期だったといえるかもしれない。尤も、あらゆる現在は常に過去と未来の間でしかありえないということも、ほぼ自明なこととしていえるわけだが。

*1:http://d.hatena.ne.jp/solar/20060720/p1

*2:略して、「ピテカン」と呼ばれていた。