仲俣暁生さんが1980年代は『八犬伝』の時代だったと書いている*1――「1980年代というのは実は「八犬伝」の時代だった。60年代の学生運動が「敗北」した後に政治闘争が文化闘争(観念闘争)に変わっていく、というのが70年代〜80年代はじめの「サブカルチャー」が担っていた本質的な意味だけど、その「闘争」のメタファーとして人気があったのが「八犬伝」という物語で、第三エロチカの川村毅は『新宿八犬伝』をやり、橋本治は『ハイスクール八犬伝』(未完)を書いた」。また、「「八犬伝」というのはいわば共和国的な「友愛(フラタニティ)」の物語でもあって、この世界は犬塚信乃や犬坂毛野といった女装の少年は優遇されるが、知性と感情をもった本物の女は「悪女」として排除される、という徹底したホモソーシャルな世界観でできており、このあたりも全共闘運動とよく似ている」。
たしかに、仲俣さんが挙げている高田衛『八犬伝の世界』
- 作者: 高田衛
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1980/01
- メディア: 新書
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
勿論、仲俣さんが挙げている「徹底したホモソーシャルな世界観」という論点も重要だと思うが、〈八犬伝〉に関して議論された(議論されうる)論点は幾つかある。例えば、家族の再建(形成)。〈八犬伝〉はいってしまえば、8人の孤児たちが出会って、お互いを兄弟として承認し、家族を形成する物語である。この背景として、中世にはまだ行われていた〈母方居住制〉を踏まえなければいけないにせよ、家族を形成するのがあに−いもうとでもなく夫婦でもないのは、「徹底したホモソーシャルな世界観」の故であろう。そして、そのようにして形成された家族によって魂の故郷であるユートピアとして幻視されたのが、角田川*3の遙か東側に位置する「南総」だったわけだ。
現在はといえば、隅田川の東側、すなわち千葉県は〈殖民地〉であるといってもいいかと思うけれど、少なくとも戦後に限っていえば、〈八犬伝〉的な楽園幻想の果てに殖民地化されたわけではない。そのような楽園幻想は対岸の神奈川県、特に湘南が専ら担ってしまっている。最近話題のhttp://d.hatena.ne.jp/boiledema/20060923#1159004052に触れて何か書こうとしたのだけれど、結局やめた。私は殖民地第2世代で、未だに本籍も千葉に移していない外人で、大学も東京への留学だし、「愛県心」について語るのは難しい。「愛県心」についてはポストコロニアルな状況を踏まえなければならないということで、取り敢えず。
最後に、〈八犬伝〉というならこれでしょということで、仲俣さんが言及していない山田風太郎先生の『八犬伝』(朝日文庫、上下)をマークしておく。
- 作者: 山田風太郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1986/03
- メディア: 文庫
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
- 作者: 山田風太郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1986/03
- メディア: 文庫
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
*1:http://d.hatena.ne.jp/solar/20060915/p1
*2:また、1970年代に遡ってしまった。Orz. 何なんだ、最近のこの傾向は?
*3:江戸時代にはこう書くのが主流だった筈。