Law and cooked

楊駿驍*1『闇の中国語入門』から。
「陌生」(strange/unfamiliar)を巡って。


「陌生人」であれば「よく知らない人」、「他人」という意味になります。
「陌」は古代中国では「道」を意味する言葉ですが、現代中国語ではほとんど原義を意識することはありません。より重要なのは「生」という言葉です。実際、「陌生人」を略して「生人」と言う場合もあります。「生」は日本語と同様にさまざまな意味がありますが、未調理であるという「なま」の意味は現代中国語にも残っていて、「 陌生」はその意味と関わっています。
たとえば、「(陌)生人」の対義語は「熟人(知人、知り合い)」です。つまり、「なま」に対して「熟している」あるいは「火が通され、しっかりと調理された」ということです。
中国人は何でも食べるといわれることが多いのですが、基本的に「なまもの」は食べません。ほとんどすべての食材に火を通して調理してから食べます。それはお腹を壊すことに対するある種のリスク対策です。
それを踏まえると、「(陌)生人」から「熟人」への変化は、警戒すべき大正方受け入れるべき対象への変化といえます。(p.64)
まあ、日本語にも熟知という熟語があり、半熟卵の半熟は半分しか火が通っていないという意味であるわけで、火を通した(cooked)という意味の熟と無縁というわけでもない。しかし、日本語話者にとって、熟という字は、未熟、成熟、熟成、熟女というふうに、また、


うれる


という訓に示されているように、果実なり人間なりの内部的な変化を連想させ、さらに熟のその先にある腐敗の予感とともに、或る種のエロさ(エモさ)を醸し出す字であると言ってよいだろう。
さて、「なまもの」/「 火が通され」たものということで思い出すのは、レヴィ=ストロースの「料理の三角形」という図式である。勿論「料理の三角形」の場合、「腐ったもの」という頂点が欠かせないわけだけど。日本語の「熟」は(意味として)「腐ったもの」に寄っていると言えるも知れない。