「デンマークの小宗派」?

寛容論 (中公文庫)

寛容論 (中公文庫)

ヴォルテール*1『寛容論』第18章「不寛容が人権として認められる唯一の場合」で、「狂信のもっとも驚嘆すべき実例の一つ」として、「この世でもっともすぐれた主義主張をかかげた、デンマークの小宗派」が言及されている。


(前略)この連中は彼らの同胞永遠の救いをもたらそうと望んでいた。しかし、この主義主張の生んだ結果は不可解なものであった。洗礼を受けずに死ぬ幼子はことごとく地獄に堕ち、運よく洗礼を受けたあとすぐに死んだ幼子は永遠の至福にあずかれるというのを彼らは知っていた。彼らは今しがた洗礼を受けたばかりの男の子や女の子に出会い次第、彼らはこの子らを殺すのを止めなかった。なるほど、彼らはこの子らに与えうる最大の恩恵を施したのであった。この子らは、罪悪、この世の貧困、地獄から同時に免れ、天国に送り届けられることは間違いなしであったからである。だが、この慈悲深い人びとが考慮に入れなかったことがある。それは、大いなる善のためにささやかな悪を行うのは許されていない、彼らはこの幼子たちの生命に対して何の権利も持っていない。大多数の父親や母親は感覚的で、子供たちが殺されて天国に行くのを見るよりは、自分の手もとに置いておきたがる。要するに、たとえそれが善意によって行われたとしても、役人は人殺しを処罰しなければならないということであった。(pp.142-143)
この「デンマークの小宗派」については訳註は一切ない。「デンマークの小宗派」っていったい何だ? 本当に実在していたのか? それともヴォルテールの想像力の産物? というような疑問が湧きあがった。
まあ、宮崎市定によれば、北宋時代にこのような教義を掲げて、善意(慈悲)の殺人を実践したマニ教系の教団があったということだし(『水滸伝』)*2、何よりも21世紀の日本人なら麻原彰晃オウム真理教の「ポア」の思想*3を想起する筈だ。また、今思ったのだけど、この「善意」(慈悲)による悪行というのは、現代の生政治を議論する上で厄介な問題を提起するはずだ。