「文体」の変容(メモ)

反哲学入門 (新潮文庫)

反哲学入門 (新潮文庫)

木田元*1『反哲学入門』からメモ。


近代の哲学書の文体はカントのあたりで大きく変わります。それはなぜでしょうか。
近代哲学を担う哲学者の職業が変わるからです。カント以前の近代の哲学者に大学の先生はほとんどいませんでした。デカルト、マルブランシュ、スピノザライプニッツといった十七世紀の大陸系の哲学者も、ルソー(一七一二−七八)やヴォルテールディドロら十八世紀のフランスの啓蒙の哲学者も、ロック、バークリ、ヒュームといったイギリスの哲学者も、みな在野の知識人だったり、政治家だったり、外交官だったり、せいぜい僧侶でしたので、本を書くときも一般の知識人を読者に想定し、平明な文章で書くのが常でした。あまり特別な専門用語も使われませんでした。(略)
それは、当時大学のポストを占めていたいわゆる講壇哲学者がみな、中世以来のスコラ系の哲学者だったからです。それを否定して近代を開くことになる新しい哲学の担い手は、当然大学の先生にはなれませんでした。
ところが、カントの前後から近代哲学の担い手たちが大学にポストをもつことができるようになりました。カント哲学を承け継ぎ展開していくフィヒテ(一七六二−一八一四)、シェリング(一七七五−一八五四)、ヘーゲルといった人たちはみな大学教授でした。彼らは、日ごろかかなり高度な専門知識をもった学生たちを相手にしているので、本を書くときもそうした学生を読者に想定します。当然文章も難しくなり、仲間うちでしか通用しない専門用語も多用されることになります。このあたりで哲学書の文体がはっきり変わってくるのです。(pp.187-188)
ところで、鎌田東二『「呪い」を解く』を読了。
「呪い」を解く (文春文庫)

「呪い」を解く (文春文庫)