「余罪」

「新たに「麻原彰晃」の女性信者殺害事件が発覚 隠し続けていた「上祐史浩」認める」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180710-00545155-shincho-soci


曰く、


その隠された殺人事件についての噂が広がったのは、昨年の秋頃のこと。新実智光死刑囚が、ある余罪について告白していたという。

「教団の初期、ある女性信者が麻原教祖に首を絞められて殺されていた――というもの。これまで全く表に出ていない事件です」

 と語るのは、関係者。

 新実死刑囚の証言によれば、被害者は当時27歳の女性信者Yさん。金銭トラブルで麻原の部屋に呼び出され「ポア」された、自分と中川智正が手足を押さえ麻原が手を下した。部屋には故・村井秀夫、女性幹部、上祐氏*1 もいた……という内容だ。

 その上祐氏に話を聞こうと試みるも、当初は“調べてみます”などと誤魔化すばかり。ようやく口を開き、女性信者殺害の現場に居合わせたと認めた。そのうえで、“新実が取り押さえ、中川が注射器を用いて殺害した”と、新実証言とはまた異なる説明をする。

「中川は彼女の左腕に注射した。しばらく後、中川はYさんの胸に耳を当て、“心臓が止まった”と言いました。麻原はその間、ソファーにずっと座っていました」(上祐氏)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180710-00545155-shincho-soci

先ず何年の何月に起きた事件なのか言及がないのだけれど、紙版の『週刊新潮』では言及されているのだろうか。現在の通説によれば、オウム真理教がダーク・サイドへと決定的に歩み出したのは1988年9月である。修行中に錯乱した信者が村井秀夫の不適切な処置のために死んでしまう。それを事故として処理しておけばよかったのだろうけど、結局、事故は隠蔽され、死体も教団施設内で焼却された。その3か月後にはその事故を目撃していた信者が口封じのために殺される*2。1988年9月以降なら、部外者としては、もう既にその頃平気で人を殺せる組織になっていたんだねとまあ納得してしまう。逆に、1988年9月以前だったら、相当のショックを感じる。オウムがダーク・サイドに堕ちた時期はさらに早まり、それも偶発的に落ちたのではなく、積極的・目的意識的にダーク・サイドに跳び込んでいるということになるからだ。
ところで、「今日まで恐怖と不安で言えなかった」という上祐史浩の「言い訳」は(私には)かなり信憑性があるように感じた。「恐怖と不安」以外には、彼がこの事件について沈黙を守る合理性はないように思える。ただ立ち会っていただけなので、この事件について上祐が刑事責任を問われることはない。また、〈脱麻原〉を標榜し、麻原の人格面に踏み込んだ批判を行っており、この事件は麻原のモンスター性の追加的証拠にすぎず、このことを告白したら上祐は多くの同情を買うことができたのではないかと考えられる。