京都のオーロラ

朝日新聞』の記事;


太陽フレア?江戸時代にオーロラ 史上最大級の磁気嵐か

杉本崇

2017年9月20日22時35分

 太陽の表面で起きる大規模な爆発現象「太陽フレア」により、江戸時代に史上最大級の磁気嵐が起きていた可能性が高いと、国立極地研究所国文学研究資料館などのチームが20日、発表した。当時の日記に残されていたオーロラの記述から規模を推定した。

 太陽フレアが起きて、地球に粒子が飛来すると磁場を揺さぶられて磁気嵐が起こり、オーロラも活発になる。1770(明和7)年9月17〜18日には各地でオーロラが見られたという記述が、当時の天文現象をまとめた「星解」などの古書籍に残されている。

 このうち、研究チームは京都府伏見稲荷大社の経営を任されていた東羽倉(ひがしはくら)家の日記に注目。17日午後10時以降の「紅色の雲が北側の空の半分を覆い銀河(天の川)にせまり」「赤気のなかに白気がまっすぐ立ち上り、白気が一筋銀河を貫き……」という趣旨の記述と、この日の天の川の位置を元にオーロラの規模を推定した。その結果、オーロラは高さ200〜500キロで京都の天頂まで広がり、幅は約1千キロに及んだ。

 この規模のオーロラにつながった磁気嵐は、1859年に欧米の通信網に大きな被害を出したものと同等〜7%上回り、史上最大級だった可能性があるという。

 極地研の片岡龍峰准教授は「当時と同規模の磁気嵐が起きたら、ハワイのような低緯度の場所でもオーロラが見えるかもしれない」と話した。研究結果は米地球物理学連合の学術誌電子版に掲載された。(杉本崇)
http://www.asahi.com/articles/ASK9N3SJ6K9NULBJ006.html

江戸時代の京都でオーロラが見えたということは初めて知った。緯度が同じくらいの中国やヨーロッパでも見えたのだろうか。この記事から察すると、当時「オーロラ」には名前がなかったんだと一瞬驚いたけれど、何しろ「赤気」と「白気」の絡まりを見たのも初めてだし、蝦夷地(北海道)でさえオーロラを見ることはできないので、そういう話を聞いたこともなかったのだろう。極光というのは近代になって日本人の知識に世界地理が組み込まれて以降の名称か。
自然現象は、特にそれがショッキングな現象である場合、様々な宗教的解釈を喚起する。2011年の東日本大震災でも「天罰」論というのばら撒かれた*1。突如現れたオーロラというか夜空における「赤気」と「白気」の絡まりに対するみんなの反応はどういうものだったのだろうか。儒者の反応は? 幕閣の反応は? 町人の反応は? 神主の反応は? 古来よりイレギュラーな天体現象としては、例えば日蝕や月蝕があるだろう。或いは彗星。オーロラへの反応というのはこれらへの反応と似ていたのだろうか。
なお、最近の「 太陽フレア」だけど、南極の昭和基地で「普段より活発なオーロラが観測された」が、勿論低緯度地方では「観測」されていない;


杉本崇「太陽フレアでオーロラ活発に 地磁気の大きな乱れ観測」http://www.asahi.com/articles/ASK9864KBK98ULBJ00R.html