「隅田川」色々

井田太郎「隅田川」『パブリッシャーズ・レビュー』84、p.7、2020


短い中にも知識(イメージ)がいっぱい詰まったエッセイ。


(前略)爛漫たる桜並木のもと、河竹黙阿弥*1は能の《隅田川》にも作られた梅若丸伝説を下敷に、〈都鳥廓白浪〉(〈忍ぶの惣太〉)の殺し場を組み立てた。吉田松若と誤認され、梅若丸が殺されるのは、隅田川長命寺堤上。久生十蘭*2は『魔都』の大団円近くで、これを昭和一〇年(一九三五)正月に改め、換骨奪胎した。「ホヴァス」通信員の嬲り殺しをみせ、安南国皇帝と誤認された記者の殺しを暗示する場も、おなじ長命寺附近なのである。夜への本能的畏怖、鄙びた上流沿岸、川のもつ魔界性を綯い交ぜ、不気味さも湛える。絵画はハレを描くことが多いから、暗い方はとかく目に入りにくい。川面は花の姿も映すが、人の生活をも泛べる。
魔都 (創元推理文庫)

魔都 (創元推理文庫)


「おくのほそ道」*3の冒頭、松尾芭蕉は流浪した杜甫の面影を「舟の上に生涯をうかべ」と点じた。「浮家泛宅」、この中国の成語は、一所不在の漂泊生活をいう。「浮家」も「泛宅」も船の別称(『下学集』)だが、水墨画山水画に描かれるような、小規模で簡素な孤舟を連想したくなる。
ワン・パラグラフ、カンボディアのトンレサップ湖に飛んで、隅田川に戻って来て、

隅田川の河口付近に目を点じよう。林子平の『海国兵談』*4は、隅田川の支流、日本橋川がオランダまでつながる「境なしの水路」だと海防の不安を述べた。松平定信*5の『宇下人言』は、最下流に架かる永代橋くらいまでは外国船の侵入も可能だが、そこより上流は無理であるという。実務家としての、密かな応答だ。時代のもたらす陰翳は、河口も彩っている。(後略)
海国兵談 (岩波文庫)

海国兵談 (岩波文庫)

宇下人言/修行録 (岩波文庫 黄 221-2)

宇下人言/修行録 (岩波文庫 黄 221-2)

そして、鏑木清方の「築地明石町」;

さて、河口といえば、鏑木清方の「築地明石町」である。右に「新富町」、左に「浜町河岸」を配する三幅対の中幅。背景には佃島に泊まる船のうしろ姿が描かれるが、靄がかけられ、歌川広重の〈名所江戸百景〉「永代橋佃じま」を彷彿とさせる。近代なのに、近世っぽくある秘密だろう。そう考えると、この作品は、境界を意識したもののように思われる。
まず、治外法権の廃止(一八九九)まで、築地明石町は法的には外国人の居留地、川に面する、空間としての境界であった。つぎに、帝展で発表された昭和二年(一九二七)は、関東大震災のあと、帝都復興事業が進行しており、佃島のむこうには近代的な永代橋が竣工していた。昭和に改元したての観衆にとっては、江戸の残像色濃い明治へのノスタルジーの上に、震災から立ち直る新時代の雰囲気も重ねて感じられたのではないか。空間・時間の境界に佇む女性の毅然たる表情には、人の営みの紆余曲折に、静かに対峙する芯の強さがあり、視線の先には、江戸/東京のうつろいがあるのかもしれない。その静謐なしなやかさは、穏やかな清方その人にも似ている。