捨てたものでは

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151211/1449803224に対して、


nessko*1 2015/12/11 12:22
>特異な文体
私もそれがいちばん印象に残っています。
なんといえばいいのかな、浄瑠璃みたいな?
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151211/1449803224#c1449804170

nessko 2015/12/18 16:09
週刊金曜日1068号(2015.12.18)に野坂昭如の遺稿が掲載。
連載エッセイ「俺の舟唄」22回目は言葉に意識的になった過程が書かれていました。
両親祖母が東京弁の家庭で神戸で育つ。
子供の頃から東京弁と関西弁を使い分けていた。
そして読書体験。
まず、子供の頃島田医院の待合室で読んだ
『黙阿弥全集』第5巻。
総ルビだったので拾い読みでき、このとき七五調の文体が頭に刻み込まれた。
その後、俳句を熱心に勉強。
正岡子規や里見紝を読む。
早稲田大学時代、今もはっきり覚えているのは
河竹繁俊先生の七五調、掛詞についての教え。

自らの歩みを振り返った後、日本は言葉が貧しくなっていく、
“そうか戦後は「黙」なのだ。”そうつぶやいています。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151211/1449803224#c1450422590

河竹繁俊は黙阿弥の(血は繋がってないけど)系図上の孫に中る人ですね(娘の養子)。
ところで、映画監督の篠田正浩と野坂とほぼ同じ時期に早稲田の文学部に通っていた筈。まあ野坂は仏文科で、篠田は国文学科でしたけど。篠田も河竹繁俊の教えは受けていたかも知れません。大学時代に学んだ歌舞伎や浄瑠璃の知識が、(近松門左衛門原作の)『心中天網島*2を撮ったときに役に立ったというのを(直接)聞いたことがあります。まあ、〈都の西北/バカ田のとなり〉もすてたもんじゃなかったということでしょうか。
心中天網島 [DVD]

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