http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20101222/1292945197
「はてなでは定期的にパチンコに関する話題が注目を集め、大挙して押し寄せたブックマーカーたちが、口々に社会悪たるパチンコ業界に対する怨嗟の声を漏らすというのが恒例行事になっている感がある」。「いつもは口汚く罵り合っているはてなーたちも、ことパチンコの話になると異様な連帯感をみせ、ネトウヨも(パチンコ産業を完全に排除したという)韓国に倣えと言い出し、はてサヨも権力による規制に賛成し、自己責任論者もパチンコ中毒者の肩を持つ」。そうなのか。
この「ちゅんぷく」という人については以前かなり強く批判したことがあるのだが*1、ここで彼が行っているパチンコ愛好者の観察はとても興味深い;
社会学者によるパチンコ論というと、加藤秀俊『パチンコと日本人』というのを昔読んだことがあるだけなのだが、そこにもこのようなパチンコの〈社交的〉機能への言及はなかったように思う。「寂しい」ということとパチンコが結びつくというのは、是枝裕和『歩いても 歩いても』を観れば誰でも何となくは理解できるだろう。
少し前、それなりの頻度でパチンコ屋に通っていた経験がある。回数を重ねるにつれ、徐々に常連客のような方々が話しかけてくださるようになった。私は生粋の人見知りなので交友はご遠慮させていただいたが、私の友人などは割と仲良くしていたようだった。曰く、常連客にはいくつかの派閥があり、派閥内にはリーダー的な人もいるのだそうだ。そして、同じ派閥の中では、その日勝った人が派閥の仲間にコーヒーを振る舞うなど、頻繁にコミュニケーションの機会が持たれ、今日は誰が来ていて何回当たったとか、来てない人はどこそこに行っているとか、そういう話をのべつ幕なしにしているのだそうだ。要するに学校の教室と同じである。
専業主婦のように学校を卒業したあと仕事をしていない人や、仕事はしていたとしても例えばトラックの運転手のように他人と接する機会があまり多くない仕事に就いている人は、学校や会社のような特定のコミュニティに属して日々を過ごすという経験に乏しい。そしてそれはおそらくとても寂しいことだと思う。だから多くの人はパチンコに行くのではないか。パチンコのように結果が定量的に把握できるゲームは、コミュニティの軸として非常に優れていると思う。
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日本を離れたこともあり、もう10年以上パチンコ屋のドアを潜ってはいない。(俺にとっては)パチンコというのは偶々30分前後の暇ができてしまったときにその暇を潰す手段であった。運がよければ、お菓子とか煙草くらいはゲットできるしね。映画を観にいって、上映開始1時間くらい前に到着してしまった場合、喫茶店に行く。15分前に着いたときはロビーでチラシとかを読みながら時間を潰す。30分前に着いたら、パチンコをする。そんな感じだった。また、映画館*4の近く(徒歩3分以内)に喫茶店とか本屋がないということはあっても、パチンコ屋がないということはあまりなかったのだ。