最近Twitter上で「カルト」という用語について、静かな論争が生起している。
それに絡んで、原田実氏*1曰く、
考えてみれば「カルト」は1990年代半ばで一気に意味合いが変わった(というか狭くなった)言葉。今では反社会的・狂信的団体の意味がほとんどだが、かつては少数だが強固な支持を得ているもの全般を意味していたわけで(カルトムービーとか)…新本格推理の評論でもその意味で使われたりしていた
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年2月6日
ふむふむと肯く。
唐突に思ったのだけど、「カルト」の意味変容において重要なのは、「カルト」という言葉がそもそも持っていた行為論的側面が削ぎ落されてしまって、組織論に吸収されてしまったということだろうか。
私は基本的には(上でいう1990年代半ば以降の)「カルト」という用語を認めていないのだけど、(何度か言ったように*2)各人のライフ・ヒストリーへの統合不可能性に着目した樫村愛子さんの使用は例外(『ネオリベラリズムの精神分析』)。
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)
- 作者:樫村 愛子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/08
- メディア: 新書
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141015/1413381594 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150713/1436798077 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160124/1453615688 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160409/1460163099 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/23/112933 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/08/31/014022
*2:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090323/1237790007 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100613/1276414494 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130416/1366106496 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161226/1482723694 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180606/1528281494