ブラックとカルト

承前*1

以前にも書いたように、或る種の宗教集団を「カルト」と呼ぶことの学術的意義を基本的に認めていない*2。ただ例外的に、(元)信者のライフ・ヒストリーへの統合不可能性に着目した樫村愛子氏(『ネオリベラリズム精神分析』)の「カルト」定義は興味深いと思っている*3

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ところで、所謂「ブラック企業」を考える上でもライフ・ヒストリーへの統合可能性というのは重要だと思う。正真正銘の「ブラック企業」の場合、履歴書に書き込めない。履歴書に職歴として書き込んだらスティグマになる*4。勿論、そういうのは論外。現在所謂「ブラック」として問題になっているのは(外食関係を中心とする)過剰な重労働・低賃金の企業だろう。さて、伝統的な料理人の修行というのも、その意味じゃそれと同等に或いはそれ以上に酷いものだったという疑いもある。多分決定的な差異はライフ・ヒストリーへの統合可能性というところにあるのだろう。苛酷な料理人の修行に耐えて、センスを磨き・スキルを身につければ、フレンチにせよ中華にせよ和食にせよ、料理人としての普遍的なキャリアが開けるが、「王将」で10年頑張ったらどうなるの? という問題。金子勝氏がAKB48ユニクロがブラックだと(事実上)言っている*5。これも判断の鍵は、落語のような徒弟制や(演歌のように)大先生の付き人をしながら修行するという従来的なシステムと比べて、AKB48で辛抱して、藝人としてのキャリア形成に必要なセンスやスキルが身につくのかどうかということになるだろう。或いは、ユニクロで10年辛抱して、LVやエルメスに転職できるか。
そういえば、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090323/1237790007でも「カルト」と「ブラック企業」を関連づけていた;

なお、「カルト」という言葉を使うかどうかはともかくとして、信者の脱退率は教団の性格を判断する上でけっこう重要な指標になるのではないか。「カルト」といわれている教団ではかなり高い筈。これは、離職率が高い企業、つまりしょっちゅう新聞に求人広告を出している企業は問題の多い企業であるというのと同じ。