「カルト」とライフ・ヒストリー(メモ)

承前*1

鰤さん、コメントありがとうございました。
さて、「カルト」という私の見解は、


(前略)私は自ら積極的に「カルト」という言葉は使わない。「カルト」という言葉は〈怪しい連中〉以上の意味はなく、社会学的・宗教学的に意味のある用語だとは思わないからだ。社会問題の社会的構築という観点からは意味があるかもしれないが。それよりも、内閉的・排他的(宗教)集団とか搾取目的(宗教)集団という言い方をケース・バイ・ケースで試行していった方が生産的かなと思う。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060902/1157162086
と書いた時とあまり変わっていない。
ところで、一般的な使い方とは別に、個人のライフ・ヒストリーとの関係(統合可能性)で「カルト」という言葉を使う樫村愛子氏(『ネオリベラリズム精神分析』)の使い方は興味深いので、取り敢えずメモしておく。曰く、「ここで私が「カルト」という言葉をどのような意味で使用しているかというと、その経験がその人の人生に破壊的に作用するという意味においてである」(p.212)。また、

統一教会が「カルト」であるのも、内部では純粋な献身が仲間意識のもとで行われているのに、信者の多くが幹部の裏切り(権欲に生きている)を知って醒めていくとき、統一教会の信者であったことが否定されざるをえないからである。
「カルト」とならない宗教では、内部の社会性や人間関係に一定の妥当性があり、宗教的経験がそれなりにその人の歴史として認められるだろう。(ibid.)
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ぶっちゃけた話、団塊の世代と酒を呑むといつも同じ昔の武勇談にうんざりとさせられるという経験を持つ人は多いだろうけど、オウム脱退者のような「カルト」経験者は(サヨク脱退者?である)団塊の世代のような心境にはなり得ないということか。
なお、「カルト」という言葉を使うかどうかはともかくとして、信者の脱退率は教団の性格を判断する上でけっこう重要な指標になるのではないか。「カルト」といわれている教団ではかなり高い筈。これは、離職率が高い企業、つまりしょっちゅう新聞に求人広告を出している企業は問題の多い企業であるというのと同じ。