「霜将軍」だった

柴田実「冬将軍」https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/129.html


曰く、


冬の厳しい寒さを「冬将軍到来」「冬将軍きたる」「冬将軍の訪れ」などと表現することがあります。これは、いわば直訳的な表現の一つです。英語で言うと「General Frost」(霜将軍)になります。

ところが、これがイギリスのことかというと、フランスのナポレオン*1にまつわる話なのですから、少しややこしいわけです。

1812年といいますから、日本では文化9年、幕末の江戸文化が花開いていた頃です。ナポレオンがロシアに攻め込もうとして、夏になる前に軍を進めました。ロシアは、フランスのナポレオンの攻撃をかわし、モスクワが占領されても合戦には持ち込みませんでした。その年は、冬の訪れが早く、夏装備のナポレオン軍は、10月には撤退を余儀なくされます。兵站(へいたん)線が伸びきって、防寒服や食料、弾薬の供給が間に合わず、大軍を維持することができなくなってしまったのです。ロシアは、みずからの兵力は温存し、ナポレオンを撃退したことになります。実際は、ロシ軍の焦土作戦を主とした、撤退するナポレオン軍への追い打ちが勝因だったのかもしれません。この様子をイギリスの新聞記者が、ロシアの「厳しい冬」、つまり「冬将軍」にナポレオン軍は敗れたと、たいそう文学的に表現したのが語源です。

さらに、

「冬将軍」はナポレオンだけでなく、ナポレオンの敗退からおよそ130年後、第二次世界大戦ヒトラーによるソビエト攻撃のときも活躍しました。バルバロッサ作戦、タイフーン作戦と続く、ナチスドイツのソビエト攻撃は、当時のソビエト軍の強力な反撃と、ドイツ軍の冬装備が間に合わなかったほどの急激な寒さで、頓挫します。

自然の力には、強力な軍隊でもかなわないということで、「冬将軍」は再び有名になります。非人道的な戦いぶりで悪名高い「武装SS」も冬将軍には勝てなかったというわけです。

「冬将軍」はこのような血なまぐさい戦争の時代に生まれ、多くの命を奪ったこともあるということが徐々に忘れられ、俳句の季語にも採用されるようになりました。

「俳句の季語」にもなっているんだ! でも、日本の本州を襲う寒波と本来の「冬将軍」というのはミサイルと飛翔体以上の差があることになる。ただ、八甲田山で青森第五連隊を略殲滅してしまった吹雪は「冬将軍」に値するだろうか*2
また、General Frostという表現を考え出したWilliam Elmes*3は「イギリスの新聞記者」ではなくて諷刺漫画家。”General Frost Shaveing Little Boney”という漫画*4