「鏡」の力(ヴァージニア・ウルフ)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳)*1から;


過去何世紀にもわたって、女性は鏡の役割を務めてきました。鏡には魔法の甘美な力が備わっていて、男性の姿を二倍に拡大して映してきました。その力がなければ、たぶん地球はまだ沼地とジャングルのままでしょう。数々の栄光ある戦争も、きっと遂行されなかったことでしょう。いまなお羊の骨を引っ搔いて鹿の輪郭を描いたり、火打石を差し出しては、羊の毛皮と交換してほしいとか、素朴な好みにふさわしい簡単な装飾品と交換してほしいなどと交渉していたでしょう。超人も運命の指も存在しなかったでしょう。ロシア皇帝やドイツ皇帝も、皇帝になることもなければ、その地位を剥奪されることもなかったでしょう。
文明社会において、鏡はさまざまな用途に使われていますが、すべての暴力的で英雄的な行為にはどうしても鏡が欠かせません。だからこそナポレオンもムッソリーニも、女性は劣っているとムキになって言い募るのです。もしも女性が劣っていないのなら、自分を拡大してもらえなくなってしまいます。そう考えると、なぜ男性は女性をしばしば必要とするのかも説明がつきます。女性からの批判に、どうして男性は耐えられないのかもわかります。この本は駄目だとか、この絵はちゃんと描けていないとか女性が言うと、男性が同様の批評をしたときよりもはるかに苦痛や怒りを招きやすいものですが、その理由がわかります。つまり、女性が本音を言おうものなら、鏡に映った姿が縮んでしまうのです。人生への適応力が弱くなってしまいます。朝食や夕食の席で、少なくとも二倍は拡大された自分の姿を見ることができなかったら、判決を下すとか、原住民を文明化するとか、法律を制定するとか、本を執筆するとか、正装して宴会でスピーチを述べるとか、そんなことをどうやって続けていけるでしょうか?
(略)鏡に映るイメージはとてつもなく重大なもの、そのイメージこそが活力をもたらし、神経系を刺激してくれる。そのイメージがなかったら、コカインを奪われた薬物中毒者みたいに死んでしまうかもしれません。(略)イメージの魔法をかけてもらえるおかげで、あの歩行者の半数は元気に仕事に出かけられる。朝、帽子をかぶってコートを着込みながら、その心地よい光を浴びていられる。自信たっぷり、意気揚々と一日を始められるし、ミス・スミスのお茶会に行ったら歓迎してもらえると信じていられる。ミス・スミスの部屋に入っていくときも、ここにいる人たちの半数よりぼくは勝っていると、ひとり考えることができる。だからこそあんなに自信ありげで確信に満ちた調子で話すことができるし、おれが公的生活におよぼす効果ときたら計り知れない。それでまた、わたしはふとしたときに変だなあと思うことになるのだけれど。(第2章、pp.64-66)