感染源と抗体反応

承前*1

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

塩川伸明『民族とネイション』から抜き書き;


(前略)ナポレオン戦争を契機に、ヨーロッパ諸国はフランスという強力な敵国と戦うためという要請から、それぞれの「国民的団結」を創りだす必要に迫られた(いわば、後の「総力戦」の論理の萌芽的登場)。そのことは同時に、フランス革命を契機とする「国民国家」観念の影響が隣接諸国に拡大していくことを意味した。ラテン語のnatioに由来する「ネイション」ないし同種の言葉は、言葉それ自体としては古くからあったものだが、それが今日にまでつながる近代的な意味で広く使われるようになったのは、フランス革命を画期としている。(p.40)
免疫学的比喩をいい加減に使うと、この場合、仏蘭西は「ナショナリズム」という病気の感染源であり、それに刺戟されて生成した独逸などの後発的ナショナリズムは抗体反応といえるだろう。ここではその抗体反応の症例としてフィヒテの『独逸国民に告ぐ』*2をマークしておくが、ともかく仏蘭西はその後のナショナリズムの猖獗に対しては感染源としての責任を有することになる。また、この感染−抗体反応という構造はその後何度も何度も反復されることになる。亜細亜におけるナショナリズムが〈抗日〉ということで生成したとすれば、日本は自らが感染したナショナリズムという病気を感染させてしまったという責任を有しているということがいえるだろう。
ドイツ国民に告ぐ (岩波文庫)

ドイツ国民に告ぐ (岩波文庫)

直接関係はないが、上に引用したパラグラフの次のパラグラフも書き出しておく;

「国民の一体性」という観念は、現実にはそれほど広く分かちもたれていたわけではない。しかし、それでも、いったん「国民国家」という自己意識をもった国家が登場すると、その国家が共通語(国家語)形成、公教育の整備、国民皆兵制度などを推進し、「国民」意識を育成するようになる。そのような政策がとられ出した後も、「国民の一体性」という観念は文字通り全国民に共有されるわけではなく、しばしば国民の中での亀裂が問題となるが、そうした亀裂をできるだけ覆い隠し、あたかも一体性が存在するかの如き外観が整備されていく。このようにして成立するのが「国民国家」である。(ibid.)