「時間革命」時代の性生活

松玉*1「「時間どろぼう」 モモとビジネスマンの奇妙な対立について」https://matsudama.hatenablog.com/entry/time-daizi_1


『プレジデント』という雑誌の「2019年 時間革命」で、ミヒャエル・エンデの『モモ』の「時間どろぼう」とは違った意味で「時間ドロボー」という言葉が使われているのだという。勿論、「ビジネス」とか「労働」という領域においてはそうなのだろう。しかし、それは生活や社会の一部でしかない。「ビジネス」や労働という領域においては正しくて妥当である効率のロジックがオフィスや工場の壁を越えて、生活や社会の全域を覆ってしまったら、それは(デュルケームの謂う意味における)「アノミー」ということになるのだろう(Cf. 『自殺論』)*2

自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

「時間革命」の革命戦士の性生活はどうなるのだろうか。セックスの目的が射精だとすると、時間をかけて前戯をしたり、射精を我慢して先送りしたりというのは全くの無駄ということになる。理想は挿入した瞬間に射精。「早漏と女にいはれ御座候」という川柳は自虐ではなく自慢になってしまう。また、セックスは子どもを作るための手段であるということだったら、体外受精こそが効率的で確実だということになる*3。このような効率性を追及したら、恋愛生活や夫婦関係が荒涼としたものになるのは必定では?
別の表現を使えば、合理性には目的合理性と価値合理性があって*4、目的合理性が全てを覆ってしまったら、私たちの世界からは〈意味〉というものが消え失せてしまう(究極的には〈生きる意味〉)。