頬を差し出すこと

不妊治療・事実婚の助成を見送り」http://taraxacum.seesaa.net/article/456479774.html


「来年度からの実施を検討していた、事実婚カップルに対する不妊治療の費用助成を、厚生労働省が見送ることを決めました」。そうなんだ。まあ、父親の確定問題についていうと、人間特有の夫婦関係というのは、男性が(実際の精子提供者は誰であれ)自分のパートナーの子どもを自分の子として引き受けるということにおいて存立するんじゃないですか。それが父になるということ。
さて、「不妊治療」に対する公的助成に対してはかなり懐疑的なのだ。「法律婚」だろうが「事実婚」だろうが、反対に近い。というのは、生物学的事実として、カップル(特に女性)の加齢に伴って、妊娠可能性は低くなり、やがては零になろということがある。不妊治療の限界。不妊治療を巡ってより重要なのは、如何にして止めるのか、子どもを持つことを諦めるのか、ということのほうじゃないだろうか。そうでないと、エミール・デュルケーム『自殺論』にいうような、ネガティヴ・フィードバック不在の状態としての「アノミー*1に陥ってしまい、何時までも妊活*2し続けて、悲惨なかたちで力尽きたりクラッシュしたりすることになりかねない。政府がすべきことは寧ろ、個人やカップルに対するダメージを回避しつつ「不妊治療」から撤退することに対するサポートじゃないだろうか。「不妊治療」をやめる最大の理由は経済的な問題だと思う。「体外受精」以降の段階は驚くほど高価だ。ネガティヴな経験については、自分の責任外の原因に帰属した方が心理的なダメージは小さくなる。例えば、大学入試に落ちたという場合、自分の頭が悪かったから落ちたというのと、試験監督の鼾がうるさくて試験に集中できなかったから落ちたというのでは*3、どちらが気が楽か。妊活終了に関しても、あれこれ悩むよりも、貧乏だったから子どもを諦めた、政府がケチだったから子どもを諦めたということにした方が楽だと思う。女性の閉経前であれば、妊活しなくても、愉しみとしてのセックスを続けていれば、子どもができるという可能性も零ではないわけだ。厚生労働省がすべきことは、「体外受精」に対する「助成」よりも、寧ろ私を殴って気が済むなら殴っていいよと、自らの頬を差し出すことだろう。

自殺論 (中公文庫)

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