砂のように眠る―むかし「戦後」という時代があった (新潮文庫)
- 作者: 関川夏央
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/01
- メディア: 文庫
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関川夏央*1「一九六九年に二十歳であること――『二十歳の原点』の疼痛」(in 『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』、pp.217-241)から。
基本的には1980年代以降しか知らず、所謂伝説の「ジャズ喫茶」、つまり関川氏が挙げる最初のカテゴリーの店というのは経験したことがない。ただ、フュージョンを許容するか否かという区別はあったように思う。白山のEという店で、哲学者のK氏がチック・コリアはありますか? と質問したら、マスターが一言、うちはフュージョンはかけない! と宣言したということがあった。
ジャズ喫茶*2にはおおまかにいってふた種類あった。ひとつは誰かと話していると「お静かに願います」と書かれたメモのまわってくるような店だった。ここに集う青年たちは頭をかかえこんだり眼をつむったり、音の奔流にわが身を打たせる求道僧のようだった。五〇年代に流行した「名曲喫茶」のクラシックをジャズにかえただけで、正統的に受けついだといえるかも知れない。かかる音楽もジョン・コルトレーン、セシル・テイラー、アルバート・アイラ―など、ひとによっては頭痛がするジャズである*3。
もうひとつは高声でなければいくら話しても構わない店だった。若い男女は店にくるとそのままずっとひとりでいてもいいし、誰か、やはりひとりでいる異性の客に話しかけることもできた。「内気なシングルズ・バー」である。ジャズには違いないが、はるかにわかりやすい音楽を流していた。こちらはおそらく「歌声喫茶」が時代にあわせて変態したものだろうが、原型の面影はきわめて稀薄だ。それは学生たちの立場の変化、日本社会そのものの変化の劇しさに見合ったもので、高野悦子が好んだ「シアンクレール」*4はこちらのタイプだった。(p.220)
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081012/1223780022 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090720/1248108412 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090824/1251047410 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100914/1284473658 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100929/1285794543 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20111202/1322849141 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151228/1451281770
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070325/1174834138 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20071024/1193237687 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100420/1271764646 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110713/1310574074 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170724/1500867471 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180614/1528938490 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180626/1529984303 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/18/010942
*4:「クラシックからポピュラーな洋楽までを客のリクエストで流した」店だったという(p.219)。高野悦子は死の4日前にその店に7時間滞在している(pp.219-220)。