背中を押したもの

承前*1

たまさぶろ「昭和四十年男の必需品、最後発FM誌『FMステーション』開局 【創刊号ブログ#7 後編】」https://www.huffingtonpost.jp/tamasaburo/sokan-7_a_23641194/


FM雑誌の衰退の端緒にはやはりJ-WAVEがあったのね;


アメリカン・テイストをFM誌に持ち込んだエフステとしては皮肉なことに、まさにアメリカ的なFM局の隆盛がその要因だ。1988年に開局したJ-WAVEのようにトークが極めて少なく、淡々と楽曲がオンエアされる...事前にオンエア・リストなど「開示しない」まさにアメリカのスタイルは、FM誌の存在意義を問う事態を招いた。

オンエア曲が開示されないとなると、番組表の価値は下がるばかり。FM各誌そろってその存在感は凋落の一途をたどり、インターネット時代の到来とともに、それまでのオンエア情報などは一気に陳腐化した。

『週刊FM』はその波にもっとも早く飲み込まれ1991年に休刊。続いて『FMレコパル』が1995年に。エフステでも「番組表をなくし、リニューアルするしかない」という話が何度も持ち上がった。「じゃぁ、誌名も『CDステーション』とかになるのかね?」なんて話題で何度呑んだことか。

しかし、そんなドラスティックなリニューアルの姿を見ることもなく番組表だけを削除した同誌も1998年に「休刊」。最古参の『FMファン』も2001年で終了した。今日、「FM誌」は無念、一冊も現存していない。

さて、

昭和の時代、少年の小遣いは月に5000円程度。レコードは2500円もした。月にレコードを1枚購入すれば、手持ちの半分を投資することになる。失敗は許されないだけに、FMで入念にチェックし、その月のお気に入りとしてレコードを手に入れたもの。その一枚に対する思い入れたるや、とても今の世代には理解されないだろう。

FENでチェックした曲を「レコード屋」に買いに行くと「そんな曲はない」と一蹴されたことも多々。当時はアメリカのミュージシャンの曲は、日本でリリースされるまでにひと月ほどタイムラグがあった。現代のようにインターネット・プロトコルを介し、世界同時リリースされる時代とは、間違いなく「世紀」の差異がまたがっている。

「2500円」というのは日本盤の値段。米国盤は1980くらい。英国盤が日本盤よりもちょっと安いくらいで、独逸盤や仏蘭西盤は日本盤よりも高くて、3000円近くしたと思う。或る友人がジャマイカ盤は安いよと言っていたのだけど、何処に売っていたのかは訊き忘れた*2。ところで、この2500というのは、1970年代から変わらず、その後CDになっても維持されたわけで、考えてみれば凄いことだよ。本の価格の推移と比較されたい。団塊以前の昔の人にとって、レコードは、私やたまさぶろ氏の世代よりもさらに貴重品だったわけで、だからこそ、名曲喫茶とかジャズ喫茶とか(渋谷陽一がDJをしていた)ロック喫茶とかができたわけだ。
また、「タイムラグ」だけど、それは(或る意味でガラパゴス的ともいえる)日本特有のレコード作りが関係している筈だ。日本盤だと、必ずライナーノーツがあって、原盤に歌詞カードがない場合でも(正確かどうかの保証はないものの)歌詞のトランスクリプションがあって、(これまた 正確かどうかの保証はないものの)訳詞までついていることも多い。このくらいの付加価値があれば、米国盤より割高なのもまあ納得できるというものだ。(管見の限り)独逸盤や仏蘭西盤にはそんな配慮はないよ。
私は割高な日本盤というのは殆ど買ったことがなかったのだ。レコードを買うのは御茶ノ水・神保町界隈が多かった。ディスクユニオンとか。(現在はないと思うけれど)丸善の裏辺りに「シスコ」があった*3。また、三省堂の隣の小さなビルの(確か)3階にあったレコード屋にちょくちょく行っていたのだけど、店の名前を思い出せない。教えて、誰か!

*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/13/152224

*2:レゲエじゃなくてロックのレコードです。

*3:本店は新宿。