Outside gets inside

川崎和哉「なぜ若者は外国に行かなくなったのか」http://www.spoo.co.jp/node/529


若者の海外旅行離れについては以前も取り上げている*1。この人にとって、「海外」というのは欧米というか先進国だけで、途上国とか第三世界というのは「海外」に入っていないんじゃないかという気がする。それはまずいだろう。ただ、


そもそも海外への興味が失われている。海外の音楽が聴かれないとか、海外文学が読まれないというのと、これは同じ背景をもつ現象なんじゃないのか。
というのはその通りだろうと思う。日本の二大文化勢力、オタクとヤンキー*2のどちらも国内指向であるようだし*3
ちょっと思いつきで無駄口を叩いてみると、特に1990年代以降、「外国」というのは海の外にあるのではなく、内側、列島の上にあるようになったのではないか。外国人労働者や留学生が急増し、嫁不足に悩む農村部では〈嫁〉を亜細亜諸国から〈輸入〉し始めた。それだけでなく、長崎のハウス・テンボスとか志摩の西班牙村とかができた*4。国内に「海外」が溢れているというのにどうしてわざわざ外に出てゆく必要があろうか、ということになる。かくして、外部はその外部性を失い、日本は〈自足化〉することとなった。しかし、外が完全にドメスティケイトされるわけはなく、(主観的には)さらに日本は外に侵され、気がついたら、「日本というネイションは内部に「反日勢力」がうようよするおぞましい〈ホラー・ハウス〉と化してしまった」*5ということになる。
ところで、山口文憲関川夏央(『東京的日常』)によれば、最大の米国脱神話化は『アメリカ横断ウルトラクイズ』である。これは米国をたんなる双六の齣にしてしまった。
東京的日常 (ちくま文庫)

東京的日常 (ちくま文庫)

なお、タイトルはケイト・ブッシュの”Breathing”の歌詞*6から。
Never Forever

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