「肺を患って」

『日刊スポーツ』の記事;


昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎

記事提供:日刊スポーツ
2017年7月23日


 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇エスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。結核で倒れ、信州で療養生活を送ったこともあった。66年に作曲した布施明霧の摩周湖」や67年の梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その後も「よこはま・たそがれ」「わたしの城下町」など提供曲が次々と大ヒットした。日ごろから「洋楽、邦楽、民謡、童謡など何でも好き。楽しいものは何でも取り入れちゃう」と話していたように、ポップスから演歌まで幅広く曲提供した。テレビ時代劇「必殺」シリーズの音楽や、アニメ「銀河鉄道999」の主題歌なども手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子中村あゆみ森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cpettp01707230016.html

「もともと肺に疾患があ」ったということだけど、20代で罹った「結核」と今回死因となった「肺炎」の間に何か因果関係があるのだろうか。ただ、「肺炎」というのは高齢者の死因としては癌に次ぐポピュラーな病気だとは思うけれど。
そういえば、平尾さんは映画『嵐を呼ぶ男*1に出演していたのだった*2。また、フジテレビの鹿内春雄*3とも妙な縁で繋がっていたのだった*4
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ところで、ささきいさお*5ってもう75歳なのか*6