『ステーション』を読んだことはなかった

たまさぶろ「昭和四十年男の必需品、最後発FM誌『FMステーション』開局」https://www.huffingtonpost.jp/tamasaburo/fm-station_a_23632622/


著者のたまさぶろ氏は、ここで取り上げられている『FMステーション』の編集者だったのだという。
さて、FM雑誌といえば、『FMfan』(共同通信社)、『FMレコパル』(小学館)、『週刊FM』(音楽之友社*1)は(買ったことは殆どなかったが)一時期、出る度にけっこう念入りに立ち読みをしていた。それは1970年代、高校生の頃。しかし、『FMステーション』が創刊された1981年にはFM雑誌を読むという習慣はなくなっていた。なので、『FMステーション』も読んだという記憶はない。鈴木英人*2が表紙のイラストレーションを手がけていたということで、ああそういえばそういう雑誌があったな、という程度。たまさぶろ氏によれば、誌名そのものが重要な文化史的意味をもっていたらしい;


誌名も物議を醸し出したという。

昭和な当時は「ステーション=駅」という固定概念があり「FMステーションって、鉄道雑誌?」と揶揄されたらしい。私の入社当時、編集長を務めていた恩藏茂によると「ステーションという言葉をメジャーにしたのは『FMステーション』」とのこと。

「FM局」という意の誌名にそれほどの創意工夫が見られるとも思わないが、時代の流れとはそんなものなのだろう。

TV番組「ニュース・ステーション」、「ミュージック・ステーション」などのネーミングも「エフステ」ありきだったとか。同誌がなかったなら現在の「報道ステーション」も存在しなかったのだろうか...うーん、はて、いかに。

そうなんだ、と一応驚いてみせる。
「1970年代において音楽を聴く主な手段のひとつがFMからのエア・チェックだった」と書いたことがあったのだが*3、個人的には大学に入って以降、(勿論FMは聴いていたけれど)「エア・チェック」ということをしなくなった。まあ、それは暇がなくなった以上の意味はないのだけど、1980年代に入って、FM雑誌が創刊されるということは、読者層としての「エア・チェック」をしたい人たちというのがけっこうの数いたということが前提になっているだろう。田中角栄のせいで、日本では長らくFM放送局の数は抑えられてきた。千葉県に住んでいた私の場合、聴くことができたFMは基本的にはFM東京NHK(東京)、NHK(千葉)で、アンテナを東京湾方向に向けるとNHK(神奈川)の電波もキャッチできたという感じだった。放送局がこれしかないので、本来だったら、新聞のラテ欄で足りる筈なのだ。なのに、専門のFM雑誌が必要というのは、「エア・チェック」需要以外には考えられない。FM雑誌には、演奏時間を含む詳細な放送予定曲に関する情報が掲載されていたのだ。そういえば、その頃、車によるデートのために、カセット・テープを編集するというのが一部の男子の間で流行っていた。みんな、やれる選曲(!)に尽力していたわけだけど、その音源は「エア・チェック」だったのだろうか。まあ、私は車を運転しなかったので、関係なかったけれど。
ところで、1980年代というのは「エア・チェック」文化にとっても、FMにとっても、或る種の転換期ではあったようだ。家庭用のヴィデオ・デッキが普及して、みんな(FMではなく)TV番組の「エア・チェック」に熱中するようになる(「エア・チェック」という言葉は使われず、たんに「録画」といっていたけれど)。音楽の享受については、米国におけるMTV開局と前後して、それまでの純聴覚的な享受からPVの視聴という仕方に転換した。小林克也の『ベストヒットUSA』(テレビ東京)、ピーター・バラカンの『ポッパーズMTV』(TBS)。また、1980年代後半の規制緩和によって、FM放送局の数が(僅かであったけれど)増えたということもある。特に重要だったのは、J-POPという言葉の起源ともなったといわれる(烏賀陽弘道『J=POPとは何か』*4J-WAVEの開局だろう。J-WAVEによって、FMは聞き流すものになった。或いは、FMの風景化。1980年代前半に、やれる選曲に尽力していた男子たちも平成になったら、カー・ラヂオからそのままFMを流すようになった?
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