ヴァルネラビリティ語り

折角の「所感」だったけれど、公明党自民党の〈離婚〉*1によって、ちょっと霞んでしまったが。


「石破内閣総理大臣記者会見」https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/1010kaiken.html
石破茂「戦後80年に寄せて」https://www.kantei.go.jp/jp/content/20251010shokan.pdf
藤井セイラ「石破首相の80年談話「戦争を二度と起こさないために」スピーチと記者の質疑応答の書き起こしまとめ(戦後80年所感)」https://note.com/cobta/n/ndc0ab48693d3


要点は大日本帝国憲法体制のヴァルネラビリティだろう。軍の統帥権天皇にあるいと設定されていたため、文民統制ということが制度上あり得ず、軍を外部からコントロールすることが制度的に不可能であった、しかし、初期においては「元老」を媒介とすることによって、何とか軍の暴走を回避していた。大正デモクラシー以降、軍の役割は政党に移るが、野党と軍の野合によって政軍の均衡は破れ、政府が軍をコントロールできない事態が出来した。そして、議会も政府・軍を批判する機能を失い、マス・メデイアも政軍に対するブレーキ機能を失った。ネガティヴ・フィードバックが亡くなりポジティヴ・フィードバックのみになってしまった、デュルケームの『自殺論』で謂う「アノミー*2に陥ってしまったのだ。戦後、日本国憲法体制では、文民統制に関するヴァルネラビリティはフィックスされた。では、議会やメディアはどうなのか?

五野井郁夫*3曰く、