「弁明」ではなく

承前*1

http://60643220.at.webry.info/201204/article_4.html


「死刑判決」の直前に木嶋佳苗が『朝日新聞』に寄せた手記が全文引用されている。これを引用した人は「極刑回避のための弁明とも読めるが、文章表現力は確かだ」とコメントしている。でも「弁明」ではないよ。この長い「手記」に書かれているのは、検察への批判や弁護士への感謝のほか、彼女の少女時代のことだ。それによると、親の教育方針によって、小学校時代から『朝日ジャーナル』を読んでいたり、TVは見せられずその代わり文学書を読んだり、映画のヴィデオやLDを観ていたりした。つまり知的には早熟だったわけだ。しかしそれがどのように人格の歪みに結びついたのかは審らかではない。これを読んでも、情状酌量の資料としては使えないわけだ。勿論自らの生命がかかっている筈の〈事件〉については全然言及されていない。情状酌量ということでは、「10年以上交際していた男性からモラルハラスメントを受けてきたことも、私の精神を蝕(むしば)み、自分の中の迷路でもがき続ける結果になりました」ことは重要だろう。語り方によっては、大きな同情を喚起することも不可能ではないだろう。しかし具体的に語られることはないのだ。何か書きたい気持が迸っているのはわかるけれど、「極刑回避のための弁明」ではないよ。ここに書かれていることの真偽を判断する能力は俺にはないけれど、俺が読んでいていちばん感じたのは、真であれ嘘であれとにかく書きたかったというエクリチュールの欲望だ。
さて、


和田修二「「母性愛をください」“木嶋ガールズ”に続き、男子大学生にも木嶋佳苗ファンサークルが……」http://www.cyzo.com/2012/04/post_10465.html


世の中にはそういう人もいるんだということであって、ここから現代の男子大学生における〈マザコン〉的傾向云々という話に持っていくことはできないだろう。件の「男子大学生」(「23歳、俳優の柳楽優弥にも少し似た大学生Aさん」)が語っているのは、俺だって女に癒されたいよということであって、木嶋佳苗にそのような能力を見出したということだ。誰もが癒されたいと思っているだろうということはともかくとして、何故それが「母性愛」という言葉で表現されなければならないのか。多分それは彼のこれまでのライフ・ヒストリーが関係しているのだろう。「みんながスリムに走る中で、あのぽっちゃり体型も母性を強調します」。これは杉浦由美子さんの指摘*2と符合する。まあ「ぽっちゃり体型」のセレブの系譜というと、林真理子*3とか林眞須美とかを思い出してしまう。
ところで、木嶋佳苗に絡んで、「毒婦」という言葉も復活しているんだね。ということで、朝倉喬司『毒婦の誕生』をマークしておく。

毒婦の誕生―悪い女と性欲の由来 (新書y)

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