再び「もうひとつの声」

清水有香*1「「ケアの倫理」を再び問う」『毎日新聞』2023年3月12日


2022年にキャロル・ギリガンの『もうひとつの声で』の新訳が風行社から上梓された。


ここに一つの例題がある。
ハインツの妻が末期がんで死にひんしている。薬剤師が開発した新薬を使えば助かる見込みがあるが、高額で手が届かない。妻の命を救うために、ハインツは薬を盗むべきかどうか――。
この「ハインツのジレンマ」を11歳の男の子と女の子に提示したギリガンは、2人の反応の違いに注目した。男の子は「人間の命はお金よりも価値があるから、盗むべきだ」と即座に回答。対する女の子の答えは要領を得ない。薬剤師を説得できないか、友達からもっとお金を借りられないか、などとさまざまな可能性に思いを巡らせる。
ギリガンは男の子のように「正しさ」を即断する声を「正義の倫理」、女の子のように個々の文脈に即して相手のニーズを敏感に受けとめる声を「ケアの倫理」と名付けた。そしてギリガンの師であるコールバーグが提唱した従来の道徳発達の理論では、後者は未成熟な発達段階だと見なされてしまうろ指摘。「人間一般の発達を描いた」とされる心理学の理論に潜む男性中心主義の偏りを暴いた。
新訳版の訳者の一人で、東京大及び東北大名誉教授の川本隆史さん(71)*2川島書店刊の訳書が86年4月に出てほどなく手にとり、授業で学生たちと読み深めた。「ギリガンは女の子の口ごもったつぶやきに注目し、そこに男の子の模範解答とは違う響きを聴き取った。それは権利や正義を明言する声と異なり、人間のつながりや責任を重視する声なのだ、と。そうした解釈に感動したのです」。今回の訳書は、川本さんが東大で教えていた当時ゼミ生だった山辺恵理子さん(39)、米典子さんの下訳を基に、3人で協議を重ねて仕上げた。

本書の後半では、人工妊娠中絶をめぐる女性たちへのインタビュー調査が分析される。調査の背景には米連邦最高裁が73年、女性が中絶を選ぶ権利を認めた憲法判断「ロー対ウェイド判決」*3があった。女性が中絶について省察し、自ら語ることを可能にしたのだ。西洋政治思想史が専門で、「ケアの倫理」に関する著書や翻訳書を多く手がける同志社大の岡野八代教授(55)*4は「この本は中絶の経験を聞き取ったことに何より大きな意味がある」と評する。自身は学生だった90年代にフェミニズムの議論の中で出会い、読み返してきたという。
82年の本書刊行後、フェミニストたちから否定的な意見が噴出した。主な批判は「ギリガンの主張は『男は正義、女は気配り』といった本質主義であり、性別分業を固定する」というものだった。そして90年代以降、ケアの倫理をめぐるフェミニズムの議論は正義のあり方を問い直していく。「ケアは既存の正義論や資本主義が非常に低く評価しているけれど、人間社会の存続にとって重要な営み。にもかかわらず、社会で周辺化された人に重いケア負担が強いられている。そのような社会こそが不正義なんじゃないかという議論が生まれたんです」と岡野さん。
同時に、careの倫理は人間観の転換にも大きく寄与したと指摘する。「男性中心の哲学では自分の頭で計画し、物事を貫徹する人間像が一つの理想像であり、自己中心的だった」。一方のケアは自己中心ではいられない。重要なのはそこだ。ハインツのジレンマのように「既存の哲学は盗むべきか否かを問う。だけどケアの倫理はいかに応えるべきかを考える。それは一つの事象を広く社会の文脈の中で捉え直すということです」。

では、ケアの倫理からどのように今の社会を捉え直し、その先の未来を描くことができるのだろうか。現在、都留文科大准教授の山辺さんは「ケアの倫理は第一に関係性の声だというのが、ギリガンの大きな主張。彼女が示すのは個人主義的な世界観ではなく、関係性の網がまずあるという社会認識です」と解説する。そのような前提に立てば、たとえば中絶の議論で「『子どもを産む産まないは女性の権利だ』といった観点ではなく、その背景にある人と人との複雑な関係性に目を向けることができる」と話す。
岡野さんも「私たちはすでに関係性の網の中にいる。現実にみんなが依存していて、だっれかがケアしなければならない。これが出発点」と力を込める。そうして自律した個人の権利より、人とのつながりを重視するケアの倫理は「責任」を前提とする。川本さんは「責任とはレスポンシビリティ、すなわち応答が可能だということ」と解きほぐす。困難を抱えた具体的な他者を目の前にして、「放ってはおけないというところから
ケアは始まる。目指すところは、誰ひとり取り残されはしない社会です」。
「ケアの倫理」については、品川哲彦『倫理学入門』第2章「代表的な倫理理論」(pp.119-124)も参照のこと。