「生きる」と「書く」

清水有香*1「自作にまつわる数奇な体験談」『毎日新聞』2022年8月6日


いしいしんじ*2『書こうとしない「かく」教室』を巡って。


「書く」ことをめぐる話は「裏返して『生きる』という話になった」。大阪に生まれ、東京、三崎(神奈川)、松本(長野)、京都と移り住んできた、それぞれの土地での暮しが語られる。”自叙伝”でもある本書には、自作にまつわる数奇な体験談がひしめく。

例えば初の長編『ぶらんこ乗り』(2000年)に登場する「たいふう」は、幼少期に自ら作った物語だ。30歳を過ぎて心も体もボロボロになった時、療養のために帰った実家で”再会”した。そこには「言葉を使って自分と世の中に橋をかけることを、本気でやっていた4歳半のしんじくん」がいた。その「勇気」に励まされ、再び筆を握って以降「『たいふう』の続きを書いている」と語る。
書くことをしながら「生きることの練習をやっていた」とも言う。「人間が生きるというのは世の中との関りを持つことだと思うんです」。妻の園子さんをはじめ〈他人がいてくれる喜びが、小説を書く喜びにつながった〉。定期的にクラシックコンサートに通い、楽しかった時間が音楽劇『麦ふみクーツェ』(02年)に反映されたように。実生活と小説世界は当たり前のように交わる。
『みずうみ』(07年)の執筆中には妻の死産を経験。我が子の死を聞かされた〈あの瞬間、ぼくの世界が折れ曲がった〉感覚は、この小説にも映し出されている。「自分の書いているものの中には誰かと会った喜びや会話してここちよい感じ、亡くなったと知らされた時の地球が止まった感じも全部にじんでくる」
〈ことばとは、過去現在未来の記憶をひっかける釣り針のみたいなもの〉。(略)さまざまな土地に移り住み、出会った人、風景、食、そのすべてがいしいさんの小説に織り込まれている。