「子供」の力

川本三郎*1「不安、孤独、無力感が引き寄せるもの」『毎日新聞』2022年8月6日


野崎歓*2『無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語』の書評。「無理のない素直な、そして深い言葉で語られた素晴らしい大江健三郎論」であるという。「大江作品の大きな特色は、いい意味の子供っぽさにあるが、著者はさまざまな角度から大江における「子供」に着目してゆく」。


大江文学の特色は、豊饒な文体にある。「真にスタイルの革命」をなしとげた戦後唯一の作家(澁澤龍彦)といわれる。思いもかけない比喩の連鎖によってリアリズムの世界を一気にファンタジーへと開いてゆく。
著者はその文章にも子供っぽさがあると指摘する。『「雨の木」を聴く女たち』の、雨を小さな葉にためこむ木を「頭がいい木」と呼ぶ。まるでこの木を『芽むしり仔撃ち』の「僕の弟」が感嘆して眺めているようだ。
大江の文章に動物の比喩が多いのも子供っぽいし、オノマトペや擬音が多いのもそうだろう。『ピンチランナー調書』の「リー、リー、リー」は戦後の子供たちの草野球を思わせる。
さらに著者は独特の大江言語である「セクス」に着目する。「セックス」より抽象度が高い*3。著者によれば、大江が学生時代に学んでいたフランス語から取られているというが、『芽むしり仔撃ち』の「僕」が少女と結ばれるういういしい場面では世俗的な「セックス」より手垢に汚れていない「セクス」のほうがふさわしい。

そして大江作品の最も重要な子供が、「脳に障害を負って生まれてきた」長男をモデルにしたイーヨーであることはいうまでもない。父親はしばしばイーヨーによって励まされ、想像力を豊かにさせられる。
イーヨーがいつも「ます、です」の敬体語で話すことから、この無垢な子供のユーモアと上品さを論じるくだりも著者のイーヨーへの愛情が感じられ、説得力がある。

大江作品がしばしば神話の世界や、あるいは近未来の終末と結びつくのは、現実社会のなかでは力のない子供たちの不安、孤独、無力感が引き寄せるものであるに違いない。
子供は、大江が影響を受けた人類学者、山口昌男の用語を使えば「周縁」の存在である。現実社会の負の要素を背負わされているからこそ、子供は大人には縁がなくなった魂に触れることが出来る。「現代の日本人作家で、『魂』という言葉を自らにとって最重要なものとして用いる作家は、大江ただ一人ではないだろうか」という著者の言葉にうなずく。