何を目当てに菖蒲町へ?

川本三郎*1「風呂敷は暮しの味方だった」『コモ・レ・パ?』(CONEX ECO -Friend)41、pp.40-43、2019


「バッグの普及で近年はあまり見かけなくなってしまったが、昭和の暮しには、風呂敷が欠かせなかった」ということで(p.40)、「風呂敷」に纏わる幾つかのエピソードが語られている。
さて、


風呂敷は、本好きの作家や大学教授にも似合う。
本を包むのにいい。一枚の風呂敷が、書店や古書店に立ち寄って、本を買い求めた時に恰好の運搬道具になる。だから、作家や大学教授にとっては、風呂敷は町歩きには必需品になる。
永井荷風の昭和十二年の作品『濹東綺譚』*2では、荷風自身を思わせる「わたくし」は、その日、浅草から、さらに浅草裏を歩く。老人が営んでいる裏通りの古本屋に入る。そこで古雑誌を買い求める。
「わたくし」はいつも、町に出る時に、風呂敷を持って出る。その風呂敷には町歩きの途中で買った食パンと罐詰(「わたくし」jは単身者)、それに古本屋で買い求めた明治初期の雑誌を入れている。(pp.42-43)

荷風を敬愛し、同じように孤独な町歩きを楽しんだ、国文学の碩学岩本素白は、大学で教えながら、暇があると、町歩きに出かけた。その際には、いつも風呂敷を片手に持った。本を入れるため。
「遊行三昧」という随筆(昭和三十九年)に、ある日、思いたって埼玉県の菖蒲町に出かける出遊の記がある。
「去年の秋もややふけた或る月曜日の午前に、三時間ばかりの(大学での)講義を済ませた私は、急に遊意の動くのを覚えて、書物の風呂敷を抱へたまま上野駅から汽車に乗った」。(後略)(p.43)
岩本素白という「碩学」は知らなかった*3。ところで、素白先生、いったい何が目当てで「菖蒲町」*4なんぞに行こうとしたのだろうか?