東京大学出版会のPR雑誌『UP』(456)に斎藤兆史「『英仏文学戦記』後記――イギリスで読み直すイギリス小説」(pp.1-5)という文章あり。斎藤兆史、野崎歓『英仏文学戦記 もっと愉しむための名作案内』という本を読んでもいないし、買ってもいないので、何とも言えない。ただこの文章の内容は面白い。小見出しだけ掲げておくと、
また、奥井智之「社会学の履歴書――『社会学の歴史』刊行に寄せて」(pp.6-11)。
イギリスの自然は身近でありながら意外と過酷である
イギリスでは子供の位置が確保されている
イギリス人の家に対する思い入れは尋常ではない
イギリスは激しい異文化接触を経験してきた国である
奥井氏の『社会学の歴史』も読んでいないのだが。この文章の中で、社会学とその隣接領域*1にユダヤ人が多いことが指摘されている。ユダヤ人として名前が挙げられているのは、
マルクス
フロイト
ジンメル
デュルケーム
ポランニー*2
ベンヤミン
マンハイム
ギュルヴィッチ*3
ホルクハイマー
エリアス
ワース
マルクーゼ
シュッツ
フロム
アドルノ
ラザーズフェルド
アロン
アーレント
リースマン
ドラッカー
マートン
ガーフィンケル
ベル
グールドナー
ゴッフマン
バウマン
バーガー
ミルグラム
緩いわりに、レヴィ=ストロース*4が抜けているのはどうしたわけだと思うし、さらにデリダを入れてもいいじゃないかとも思う。それはともかくとして、ウェーバーの『職業としての学問』を引きながら、
と述べられる。さらに、
ウェーバーが『職業としての学問』で、「どう教授になるか」について論じていることは有名である。しかしそこに、何か秘訣が書かれているわけではない。ウェーバーはこういう。大学に職を求める者の生活は、「運」に支配される。その者がユダヤ人ならば、「すべての希望を捨てよ」といわねばならない。たとえユダヤ人でなくとも、自分よりも凡庸な連中が自分よりも順調に昇進していくのを目にしなければならない、と。要するに「どう教授になるか」という方法などない、というのがかれの主張であった。ウェーバーがそこで、とくにユダヤ人学者について書いていることには伏線がある。ある教授職にウェーバーが、ジンメルを推薦した。しかしジンメル=ユダヤ人という理由で、その人事が日の目を見なかったことがそれである。(p.9)
(前略)社会学=ユダヤ人の学問という履歴は、わたしたちに一つの問題を提起している。いま一つ気づいたことは、社会学=民間学者(市井の学者)の学問という履歴である。紺と、マルクス、フロイトなどが民間学者であることは、非常に見やすい。
意外なことにはウェーバーが、かれらの仲間である。ウェーバーは精神疾患のために、大学を辞職する。かれが社会学者になるのは、実はそれ以降である(かれは元々、法学者であり、経済学者であった)。もちろん民間学者の場合、どうやって食べていたかが問題になる。たとえばコントやマルクスが、ほぼ終生貧困に苦しんだことは有名である。それはそれで、大いに身につまされる話ではある。フロイトは臨床医として家族の生活を支え、ウェーバーは遺産生活をしていたと推察される。しかしパンの話は、ひとまず横におこう。重要なのは社会学の創生に際して、民間学者が大きな役割を果たしたことである(わが国でも民間学者としての、福沢諭吉や柳田国男の果たした役割が注目されてしかるべきである)。それは社会学=ユダヤ人の学問という、さきの履歴とも関連するものである。このような社会学の履歴は大学人に、「社会学的創造力の基盤は何か」という問いを突きつけている。(p.10)
- 作者: マックスウェーバー,Max Weber,尾高邦雄
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*1:これもちょっと緩いのだが、この緩さも〈社会学的〉ということで、許容されるのだろう(少なくとも俺は許容する)。
*2:カールかマイケルか。
*3:アーロンかジョルジュか。
*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091103/1257281098 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091105/1257360030 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091106/1257478263 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091109/1257705586