篠弘

朝日新聞』の記事;


歌人・篠弘さん死去 評論・作歌の両面で活躍 宮中歌会始の選者も
2022年12月13日 19時00分


 短歌結社「まひる野」の代表で、批評家としても現代短歌を牽引(けんいん)した歌人の篠弘(しの・ひろし)さん*1が12日、多臓器不全で死去した。89歳だった。葬儀は親族で営む。喪主は妻智英子(ちえこ)さん。後日、しのぶ会が開かれる予定。

 1933年、東京生まれ。早稲田大学入学後に「まひる野」に入会。土岐善麿や窪田章一郎の指導を受けた。82年に「近代短歌論争史」で現代短歌大賞、95年に「至福の旅びと」で迢空賞を受賞するなど評論と作歌の両面で活躍し、毎日歌壇選者、宮中歌会始の選者、宮内庁御用掛を務めた。99年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章

 現代歌人協会理事長、日本文芸家協会理事長、日本現代詩歌文学館長なども歴任した。主な著作に「凱旋門」(詩歌文学館賞)、「緑の斜面」(毎日芸術賞)、「残すべき歌論」(斎藤茂吉短歌文学賞)など。20年には権力にあらがう歌人たちの姿を描いた「戦争と歌人たち ここにも抵抗があった」が刊行され、注目を集めた。

 一方で、大学卒業後から小学館に勤務して百科事典の編集などを担い、百科事典編集長を経て取締役、社長室顧問に就いた。代表歌の一つ〈ラルースのことばを愛す“わたくしはあらゆる風に載りて種蒔く”〉はフランスの百科事典の出版社「ラルース」の商標に添えられた言葉を軽やかに訳し、自らの信条と重ねた。愛知淑徳大学の文化創造学部長も務めた。



歌人の馬場あき子さんの話
 篠弘さんには、三つの大きな功績があった。

 一つ目は、近代、現代を通して短歌の歴史を捉えたこと。「短歌史を知り、過去の歌人たちの奮闘を知った上で歌を詠み、前に進んでいかなくてはならない」と若い世代にも口を酸っぱくして言っていた。

 二つ目は、短歌史でそれまで男性歌人の傍らに置かれていた女性歌人の歌に光を当てたこと。「疾走する女性歌人 現代短歌の新しい流れ」という著作にも結実している。

 三つ目は、個人と国家権力の問題を戦争を通して考えたこと。国家のエゴである戦争に駆り出され、国民はどのような目に遭ったのか。最晩年の著作「戦争と歌人たち ここにも抵抗があった」でも、家族との生活を守るために、戦場に赴いた歌人たちの苦悩を歌を通して検証した。
https://www.asahi.com/articles/ASQDF5RSTQDFUCVL00X.html

永田和宏『現代秀歌』*2では、篠氏の作品として、

降職を決めたる経緯ありのままに声励まして刻みつつ言ふ
が選ばれている(p.119)。所謂「職場詠」。しかも「管理職」として「非情な決断をしなければならないとき」を詠ったもの。

数人の同僚を馘りしすぎゆきを呟けば四人が覚えてをりぬ
はさらに凄まじい(Cited in p.120)。この2首を読んだ後で、(上の記事でも引用されている)

ラルースの言葉を愛す”わたくしはあらゆる風に載りて種播く
を読むと、何だか凄くほっとする。\\