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『スポーツ報知』の記事;


「全身がん」を公表の高須院長、ツイッターで「新しい癌治療を試すのも楽しみ」
2/24(日) 8:36配信 スポーツ報知


 高須クリニック高須克弥院長(74)*1が24日、自身のツイッターを更新。

 「ステージ4で5割超も『末期がんは治療しない』という選択」というネット記事を貼りつけた上で「僕は、せっかく人生劇場の主役を演じさせていただいているのだからなるべく長く舞台にいて人生を楽しみたいと思います」とツイートした。

 高須氏は、2018年9月に「全身がん」であることを公表している。その上で「僕は新しい癌治療を試すのも楽しみです」とつづっていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190224-00000042-sph-soci

樹木希林さんも「全身がん」だったのだ*2高須克弥という人格に全く共感することはなく、死んだとしても追討はあっても追悼はあり得ないだろうとは思う。ただ、「全身がん」ということ、〈強がり〉としても受け取ることができる発言を知って、〈あはれ〉という感情が喚起され、彼に対して初めて共感のようなものが生起したということも事実なのだ。
さて、永田和宏氏は『現代秀歌』で、上田三四二

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日一日はいづみ
という歌を取り上げている(p.242)*3。この歌に寄せて曰く、

上田三四二は、医師であり、歌人であり、評論家であり、そして小説家として、精力的な活動をしてきた作家であったが、昭和四一年(一九六六)結腸がんの宣告を受け、手術をすることになった*4。手術は成功したが、この体験は上田にとって生涯の転機となった。上田自身が京都大学医学部を出た内科の医師であり、専門は結核であったが、がんの病理についても当然のことながらよく知っている。医師という職業は(私のように医学に関係した基礎研究に携わっている人間も同様だが)、こういうとき残酷なものである。自らが置かれている現在の状況と今後の進行が、否応なく自分でわかってしまうからである。

提出歌では、まず「死はそこに抗ひがたく立つゆゑに」と詠われる。がんの線刻直後の歌である。昭和四一年という時点で考えれば、がんであるという宣告は現在と較べものにならないほどに重い、深刻なものであったに違いない。医師の上田にして、「死はそこに抗ひがたく立つ」と感じざるを得ない衝撃的なものだったのである。
在原業平に、「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを」(『古今集』哀傷)という一首があるが、人は死という絶対的な〈無〉から、遂には逃れられない存在である。いつかは死ぬ。しかし、それははるかかなたにあると思っていられるからこそ、今日を思い患うことなく過ごしている。「きのふけふとは思は」ないという気楽さが、現在の生を平穏ならしめているのである。
その「死」が、もうすぐそこに立っている、いや目の前に立ちはだかっていると感じたのが、がん宣告ののちの上田の歌である。死が立ちはだかっているからこそ、いまという時点での生が愛しく思われる。「生きてゐる一日一日」が泉のように清らかで、健気で、かけがえのない大切な時間であると実感されたのである。(pp.242-243)

現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

ところで、樹木希林さんの経緯から類推すれば、高須追討は2年か3年先送りされそうである。