昏さを巡ってのメモ

先ず、大竹昭子須賀敦子の旅路』*1から。
ミラノにて。


ホテルを出ると、足は自然にその電車道を東に向かった。ムジェッロ街までどれほどかかるかわからないし、知らない道を夜に街外れの方角に歩いていくのに不安がないわけでではないが、足が勝手にそちらへ行ってしまう。通りには街灯の数が少なく、歩道を行く人の顔もまともに見えない。なんて暗いのだろうと思ったとたん、むかしミラノに来たときもまったく同じことを思ったのを思いだした。ミラノだけではなく、パリでもローマでも、ヨーロッパの都市に来るとかならず最初の夜にそう思う。建物が大きく、街灯が高い位置にあることも、そう感じさせる理由かもしれない。知らないまに自分の靴音に敏感になっている。
だが、この暗さに慣れて日本に帰ると、こんどは東京の夜がたまらなくまぶしく感じられてくるのもたしかである。とくに繁華街の明かりの量はすさまじく、影を奪われて薄っぺらな透明板になっていくようだ。ヨーロッパでは街路だけでなく室内も間接照明が多くて薄暗く、夜の生活全体に燭台やランタンを使っていた中世の記憶が沁み込んでいるような気がしてならない。(pp.24-25)
現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

永田和宏『現代秀歌』*2から。
大辻隆弘の、

受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき
という短歌(cited in p.121)に寄せて、

[電話の]受話器はどこでも黒、すなわち「漆黒」が当然であったのに、現在では黒の受話器を探すほうがむずかしくなっている。白やベージュなど、暖色系の明るい色が好まれる。受話器だけでなく、いつのまにか多くの家電製品がみんな明るく淡い色に変わり、かつ軽量化が徹底してきた。家電製品だけではなく、壁の色、床の色、どれも同じような色合いが好まれている。
明るいのはいいことである。しかし、明るいだけの外面は、それぞれの内部に抱えているはずの、感性や思考の襞というものへの視線を稀薄にするものでもある。落ちついて、家族が話をしたり、内面に抱えているはずの闇の部分への回路を狭くもしてしまうだろう。明るい光のもとでの自己省察はむずかしい。あまりに能天気な明るさは、人の精神を疲れさせるものでもある。私などは、東京の街の明るすぎる照明のもとから京都へ帰ってくると、街の暗さにほっと安心をする。暗さは落ち着きをもたらす。(pp.122-123)
年末と正月に日本に帰ったとき、年末恒例のTV東京の時代劇を視ていた。所謂〈本能寺陰謀論*3を巡るものだ。そのとき、画面が暗いなと思って、昔のTVの時代劇はやけに薄明るかったということを思い出した。蝋燭や行灯ではなく白熱電球に照らされた夜。スタンリー・キューブリックが『バリー・リンドン*4で18世紀イングランドの暗さを再現しようとして高感度レンズを開発させたのは1970年代初めのこと。