「痴呆的」

近代秀歌 (岩波新書)

近代秀歌 (岩波新書)

永田和宏『近代秀歌』*1から。
若山牧水


うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
に寄せて、曰く、

若山牧水には、桜、わけても山桜の歌が多い。現在街中でみかける桜のほとんどは染井吉野であるが、これは江戸時代以降に主流になった桜であり、もとは桜と言えば山桜であった。古くはそれを山桜とあえて言うことはなかったが、いかにも痴呆的に豪華に咲く染井吉野より、私自身は山桜が好きである。(p.170)
先ず、「染井吉野」が「江戸時代以降に主流になった桜」というのは「明治時代以降」の誤り。永田氏の『現代秀歌』の「あとがき」によれば、中村稔が『ユリイカ』2013年7月号で指摘し、「第八刷以降」では訂正してあるという(p.256)*2。それはともかく、「いかにも痴呆的に豪華に咲く」という染井吉野に対するdisりぶりが目に焼き付いてしまった。染井吉野好きからの反論はないのだろうか。
現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

さて、牧水の、

今朝の晴青あらしのめきて渓間より吹きあぐる風に桜ちるなり
について;

青あらしは、春から初夏にかけての大風。谷から吹き上げる風にいっせいに散る花に感嘆している牧水の姿を彷彿とさせる。「散る」というその潔さに美を感じている牧水がいる。「散る美学」は、多くの日本人を捉えたものであるが、牧水にも、本居宣長の山桜の歌は当然記憶のなかにあっただろう。(p.171)
そして、

敷島の倭こゝろを人とはは朝日ににほふ山さくら花        本居宣長
本居宣長は、大和心を山桜に同化させたのだが、その意識のなかには、当然散り際の美しさがあったことだろう。山桜の散り際の美が、やがて戦前の、あるいは戦中のわが国では、「花と散る」美しさと読みかえられて、「同期の桜」などの軍歌にもなった。「貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散ります 国のため」と、散ることを美として暗に要請し、また若い特攻兵士たちに死を強いる力となったことは、われわれ日本人がいまなお逃れられない記憶として心に留めているところである。(p.172)
本居宣長は特攻隊員の死に対する戦争責任を引き受けるべきなのか。これはちょっと疑問なのだ。ここに掲げられた宣長の一首から受ける印象は、圧倒的に「朝日」と「山さくら花」の対比であって、ここからは「散り際」とかは意識に上ってこないからだ。
さて、毎度のことで出典は忘れたけれど、多田道太郎*3染井吉野は匂いが弱いということを指摘していた。色が派手で目に対する刺戟が強ければいいという視覚中心主義。ここから、ヴィニール桜までは一直線であると。まあ、それで宣長が「山さくら花」に「にほふ」という動詞を使っているのは興味深いなと思ったのだ。ところで、「兵学校」の「庭」の「桜」は山桜だったのか、それとも染井吉野だったのか。
また、桜の場合、目を娯ませるのは花だけではないだろう。花よりも葉っぱの方が重要かも知れない。6月の青葉、さらには秋から冬にかけての紅葉。