- 作者:片山 杜秀
- 発売日: 2020/04/20
- メディア: 新書
片山杜秀『皇国史観』の第1章では「前期水戸学」が論じられている。「前期水戸学」において重要な役割を果たしたのは水戸藩第二代藩主の徳川光圀、すなわち「”天下の副将軍”水戸黄門」(p.12)である。しかし、江戸幕府には「副将軍」なる役職は存在しなかった(ibid.)。それどころか、幕府の意思決定において水戸藩主が介入する余地もなかった。平時においては老中が合議で、非常時には大老が独裁的に決定した(p.14)。
さて、「副将軍」という呼称自体、後世の産物なのだろうけど、それは何時ぐらいまで遡れるのだろうか。また、現代社会(現代日本語)には、英語のvice-やsub-に対応するであろう「副」なんちゃらが氾濫している;
副会長
副社長
副部長
副局長
副所長
副署長
副総裁
副総理
副住職
副大統領
副都心
江戸幕府に「副将軍」はいなかったわけだけど、そもそも「副」なんちゃらという役職が存在しなかった。「副将軍」だけでなく、副奉行も存在しなかった。しかし、「副」的な立場の人は昔からいたわけだし、「副」的な役職もあった筈だ。律令制では、No.2的なポストはスケと呼ばれていた(漢字表記は、助、介、輔、佐など)。また、権大納言という場合のゴン(権)は角力で謂うところの張出横綱のような意味合いなので、「副」とはちょっと違うか。中世の守護に対する守護代という場合に使う「代」はどうなのだろうか。
上にあげたような「副」たちの登場は、日本がヨーロッパの言語に曝され、それらを翻訳することを通じて国家・社会を構築するようになった明治以降のことだと大まかには言えるのだろうけど、簡単にそう言い切ってしまうことは躊躇われる。新選組(新撰組)*1の役職に「副長」というのがあった。たしか、土方歳三が就いていた筈。私の知識としては、「副」のついた役職としてはこれがいちばん古いということになるのだが、さらに古いのはあるのだろうか。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090709/1247156644 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100903/1283483751 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120515/1337096258 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130116/1358264648 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140915/1410755579 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160409/1460210680 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170210/1486695468 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170514/1494724037 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/04/25/112859 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/04/26/094800