安藤礼二on 『共同幻想論』(メモ)

安藤礼二*1吉本隆明 思想家にとって戦争とは何か』からメモ。
共同幻想論*2を巡って;


吉本隆明個人ばかりでなく、日本の思想史においても、重要な位置を占めるこの『共同幻想論』(河出書房新社、一九六八年)のはじまりの場所はどこにあるのか。それはまず、吉本が実践していた「政治」の場に求められなければならないであろう。とくに、マルキシズムが変質した不毛な議論を粉砕するための理論的支柱として、また自ら身をもって体験した集団の硬直化と内攻のメカニズムを解明するものとして、さらには『資本論』にヒントを得て書かれた言語論(『言語にとって美とはなにか』)によって明らかにされた、言語を発する個体の問題と、それが意味として流通する社会の問題を解決するものとして。
両者は『心的現象論』と『共同幻想論』として不可分の関係にあった。実際にも、『心的現象論』の連載を続けるのとほぼ平行して、吉本は超人的な集中力のもとで、『共同幻想論』の根幹となった連載をすすめていたのである。そしてこの「個人」と「共同体」という二つの領域は、吉本にとって、先験的に対立するものであった。個体の幻想は、その個体を組織し社会を成り立たせる共同の幻想とは、決して相容れないものなのである。「人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている」。共同の幻想は、個体に強力な負荷をかける。しかし人間とは、「しばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在」なのである。
このような問題を提起した吉本の思考の根底には、自らの「戦争体験」を徹底的に問い直すという強いモチーフが存在していた。なぜ、日本語という言語の表現に革命をもたらし、敬愛していた詩人たちが、いとも容易に「戦争」の遂行という愚かしくも破滅的な「幻想」に巻き込まれ、自らの表現を枯渇させ自壊しなければならなかったのか(彼らこそ当時の吉本自身の心の動きを代弁してくれる者たちにほかならなかった)。その「謎」を解き明かさなければならない、それが『共同幻想論』を貫く一つの想いである。そのために、吉本は、「日本」的思考の根源に存在するアジア的思惟g成立する基盤(共同幻想の〈アジア的特性〉にまで遡行しようとする。
それは日本の「国家」の起源を問うことに直結する問題である。そしてそこには、個人と共同体だけでなく、そのあいだを繋ぎ、さらには両者を徹底的に乖離させもする〈性〉という問題が、まったく新たな相貌をもって登場することになったのである。ここに吉本幻想論は完成する。吉本にとって、人間はいかなる意味においても「幻想」を生きざるを得ない動物である。そしてこの人間の全幻想領域は、さらに相互に相容れない三つの領域に分かれている。個体の幻想、共同の幻想、そして〈性〉の関係を軸とした「対なる幻想」の領域である(この三つの幻想領域は、位相的には異なっているのである)。
アジアにおいては、この「対なる幻想」こそが、個体の破壊的でアナーキーな幻想を、共同の幻想へと共振させ、それを共同体の中心へと凝集させるのである。このようなアジア的思惟の体系が明確に刻印されたものこそが、空間的なリミットを示す「物語」であり、時間的なリミットを示す「神話」である。吉本はそれぞれを代表する原型として『遠野物語』と『古事記』を取り上げ、両者を徹底的に分析する。「神話」と「物語」は、まさにアジア的な王の一つの集約されたイメージである「天皇」の戴冠の儀式によって接合される。
しかしながらこの『共同幻想論』は、国家の起源を考察する、単なる学問的な著作ではない。それはまずなによりも自らが体験した個人と国家の関係の裂け目を明らかにするという切実な想いの具体化である。そしてつねに国家と対立せざるを得ない個人のかけがえのない幻想を、「対」という関係で鍛え上げ、一つの「闘争」を意志するという力強いマニュフェストでもある。(pp.48-51)
共同幻想論

共同幻想論

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

安藤氏は、この次のパラグラフで、『共同幻想論』の「他界論」から長い引用をしている;

そして共同幻想が自己幻想と対幻想のなかで追放されることは、共同幻想の〈彼岸〉に描かれる共同幻想が死滅することを意味している。共同幻想が原始宗教的な仮象であらわれても、現在のように制度的あるいはイデオロギー的な仮象であらわれても、共同幻想の〈彼岸〉に描かれる共同幻想が、すべて消滅せねばならぬという課題は、共同幻想自体が消滅しなければならぬという課題といっしょに、現在でもなお、人間の存在にとってラジカルな本質的課題である。(Cited in p.51)
多分、「共同幻想」の「彼岸」或いはその「消滅」というのはあり得ないだろう。これについて、ここではただ井筒俊彦『意識と本質』*3を指示するに止める。