2つの「儒教的な歴史観」

揖斐高『江戸幕府儒学者*1から。


儒教的な歴史観の基本を要約すれば、次のようなものになる。歴史的な世界を支配しているのは天であり、天の理法を体現して道徳的な仁政を行う為政者は栄え、反対に不道徳な悪性を行う為政者は滅びる。つまり歴史というものは、天の司る道徳的な理法に基づく治乱興亡の跡である。したがって、歴史的事実を直書すれば、そこには言わば鑑のようにおのずから君臣の道徳的なあり方が映し出されることになり、結果的に歴史叙述からは、君としてどうあらねばならないか、また臣としてどうあるべきかという訓戒を得ることができる。これが儒教的な歴史観の基本となる鑑戒史観と呼ばれるものである。宋の司馬光の『資治通鑑』は、こうした事実主義の鑑戒史観に基づいて編纂された代表的な歴史書だとされている。
この鑑戒史観に儒教的な名分論が結合されると、さらにもう一歩踏み込んだ歴史観が形成される。史書を編纂するうえで重要なことは、歴史上の事件や人物の名分をただすことであり、治乱興亡の跡、とくに政権の交代については、君臣の義という名分に基づいた正統的な政権の交代であるのかどうかが問題になる。ちなみに名分というのは、名義と本分の意で、名義と本分が一致した時に国や社会の秩序は確立されるという思想が名分論である。朱子学などではとくに父子間の名分や、君臣間の名分が問題にされた。
こうした考えから、名分の一致する政権は正統であり、名分に乱れのある政権は閏統(傍系)であるとして、両者の区別を明確にすることが重要であるとする正閏論(正統論)が主張された。そして、歴史著述においては、五経の一つである『春秋』(略)の処方(叙述法)に従って、善を勧め悪を懲らしめるために褒貶の意を寓し、名分を正す処方を採るべきことが主張された。これが名分史観(正閏史観・褒貶史観)と呼ばれるものである。
こうした名分史観に拠って編纂された代表的な歴史書が、朱子の『資治通鑑綱目』だとされている。朱子司馬光の『資治通鑑』を簡約化して、「綱」(歴史記事の本文にあたるもの)と「目」(その注釈にあたるもの)とに再編し、歴史的事件や人物を叙述するに際しては書法を工夫することで褒貶の意を寓し、名分を正そうとした。(pp.117-119)

幕府からの下命によって[林]羅山が編纂に取りかかった『本朝編年録』が、こうした『資治通鑑』的な鑑戒史観や『資治通鑑綱目』的な名分史観という儒教的・朱子学的な史観を拠り所にしたのはもちろんである。しかし、この二つの史観は同一のものではない。『資治通鑑』的な鑑戒史観が歴史的な事実を直書することに重点を置く事実主義的な史観であったのに対し、『資治通鑑綱目』的な名分史観は歴史的な事実を道徳的に解釈して呈示することを重視する道徳主義的な史観であった。
後者の道徳主義的な名分史観では、歴史的な事実に対する主観的な判断が求められるだけに、具体的な歴史叙述にあたって、とくに治乱興亡や権力の交代が錯綜する場面では、名分をどう判断すべきかという困難な問題が生じがちであった。ましてや、革命によって王朝が交代した中国と違って、日本では一方で皇統が継続しながら、一方で政治権力そのものは交代していくというのが歴史の実態であり、名分の判断は複雑化した。(略)
日本歴史の著述は儒教由来の原則的な名分論だけでは処理できなかった。さらに、名分の判断いかんによっては、江戸幕府に果たして政治権力としての正統性はあるのかという問題が発生するおそれがあった。なぜなら、日本歴史におけるもっとも難しい名分の判断は南北朝並立時代にあり、徳川将軍家はその南北朝並立時代に南朝方の武将として活躍した新田氏の後裔を自称していたからである。幕府の史書として編纂される『本朝編年録』にはどのような書法が用いられるべきか、この難問に羅山は直面せざるを得なかった。
(略)
羅山は私的な歴史観としては、『資治通鑑綱目』的な名分史観のほうに傾斜していたが、公的な史書の書法としては名分史観のみに拠ることを避けたのである。日本歴史における複雑な名分の判断を、公的な史書において下すだけの準備と自信がなかったということだったのかもしれない。また幕府の御儒者として、徳川幕府の正統性を危うくするような名分の判断は避けるべきだという思いもあったであろう。(pp.119-121)
さて、かなり以前に朱子学的な歴史観の基礎ということで、井筒俊彦『意識と本質』から引用を行っていたのだった*2

「一物一太極」、「理一分殊」という。だが、宇宙の窮極的根源としての「太極」が、何かそれ自体と違ったものに変って個々の事物の小「太極」になる、というわけではなく、絶対に一なる「理」がばらばらに分裂し、それぞれが独立して部分的に個物に宿るというわけでもない。どこまでも「太極」は一、「理」は唯一である。ただ、この唯一なる「理」に形而上的側面と形而下的側面という、二つの側面、あるいは現成次元、があるだけのことだ。とはいっても、形而下的側面における「理」が我々の経験的世界から遠く離れて独立し、それ自体としては経験界の個物とは直接の関わりをもたないような形で絶対超越的に存立する、というのではない。「理」は我々の経験的世界と根源的に関わっている。その関わりは、形而上的「理」が必然的に形而下的姿で現われる、現われざるを得ない、というところに成立する。ただ、常に必ず形而下化した形で経験界に現われながら、その形而上的側面を、個々の事物の「本質」としてそっくりそのまま保持している。そういう形で、「理」は形而上的であるとともに形而下的でもあるのだ。(pp.95-96)
意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

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