ホモソーシャルの罪

「彼氏が風俗へ行った」https://anond.hatelabo.jp/20180320010615


この女性は、同じ会社に勤める男性と恋愛関係(同棲関係)にあり、同じ「社内研修会」に参加していた。「研修」のオフの時間に、同僚と一緒に「風俗」帰りの彼氏を見てしまい、言いようのないショックを受けたという話。これに対して、「彼氏」の人格を問題にするような意見も見られる。まあそうかも知れないけれど、これはあまり生産的ではないだろう。問題は、もっと社会的或いは文化的だろうと思う。日本の企業組織というのがホモソーシャル*1な内閉的組織であること。そのホモソーシャルな絆を維持・強化するトゥールとしてセクシュアリティが利用されているということ。それは一方では宴会でパンツを脱ぐということに表れているわけだが、(この彼氏の例のように)集団での(昔風に言うと)女郎買い、(今風に言うと)ソープ通いということに表れることもある。かつて、日本のサラリーマンは亜細亜諸国での買春ツアーで名を馳せたわけだけど、その頃、欧米人だって女を買っているのに、何故日本人だけが非難されるのかという議論があった。まあ、欧米人は個別で遊ぶのに対して、日本人は団体行動を取るので、それが現地人その他には特異なものとして映ったということはあった。話を戻すと、その際、吉本隆明共同幻想論*2の用語を盗んでいえば、「対幻想」は「共同幻想」にとって手段的な意味しかない、或いは「対幻想」は「共同幻想」に従属することにおいて存在を許されるということになる。この増田が直面しているのは、そのような社会/文化なのである。

共同幻想論

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