As a witness

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)

川上未映子*1『ヘヴン』から。

「ねえ、神様っていると思う?」
ずいぶん時間がたってから、コジマが小さな声できいた。
「神様?」僕はききかえした。「神様って、どんな?」
「どんなでも。ぜんぶのことをわかってる神様。ぜんぶのことをちゃんとわかってる神様よ。見せかけや嘘や悪をちゃんと見抜いて、ちゃんとわたちのことをわかってくれている神様のことよ」
「コジマは」僕はあいまいな声をだした。
「いると思うの?」
「だって」とコジマは僕を見ないで言った。
「それが神様でなくてもいいけれど、そういう神様みたいな存在がなければ、色々なことの意味がわたしにはわからなすぎるもの。お金のことだってそうだよ。お父さんが自分のためじゃなくて家族のためにどれだけ一生懸命に働いても、けっきょくひとりぼっちになってしまって、贅沢を望んでいるわけでもないのに、新しい靴も買えないような生活をしなくちゃいけなくて、そこから逃げるようにしているしていなくなったわたしたちだけがこんな生活をして、どうしてこんな馬鹿みたいなことが起こってしまうのか、わたしには理解できないもの。そんななにもかもをぜんぶ見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、苦しかったこととか乗り越えてきたものが、ちゃんと理解されるときが来るんじゃないかって、……そう思ってるの」
僕はなんと答えていいのかわからなかった。
「その最後っていうのは、生きてるあいだのこと? それとも、死んだあとのことなの?」
コジマは顔にかかった髪の毛を指でつまんでよけながら、ひとつひとつの発音を確かめるようにして静かな声で言った。
「……生きてるあいだに色々なことの意味がわかることもあるだろうし、……死んでから、ああこうだったんだなって、わかることもあると思うの。……それに、いつなのかってことはあまり重要じゃなくて、大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみにはかならず意味があるってことなのよ」
コジマは言い終えるとしばらく黙ったきりになってしまい、僕もそれにあわせてしばらくのあいだじっと黙っていた。汗があふれ、僕は背中にはりついたシャツをつまんでうかせ、風をつくってなかに入れた。(pp.117-119)
悪人を懲らしめたり自分に利益をもたらしたり不幸を遠ざけてくれるのではなく、自分が遭遇する意味不明で理解困難な出来事を全て見ていてくれる存在としての「神」。そういう存在としての「神」を信じることによって安心立命を得る人にはちょくちょく出会う。ここで「コジマ」は全てを「見てくれている」「神様」が最終的に全ての「意味」を解き明かしてくれることを期待している。「意味」を解き明かすためには、「神様」は全てを見て、記憶しなければならない。「神様」が忘却してしまえば全ての「意味」を解釈することもできなくなる。見て・記憶する証人としての神。イェホヴァの証人ならぬイェホヴァは証人。
川上さんの小説及び「コジマ」の思考から少し離れるけれど、何故悪人も退治せず災難も防いでくれない、或る意味では無力な「神」を、少なからぬ人々が信じるのか。この世で私に対して起こる様々な出来事が私の主観に還元され得ないリアルなこととして存立するためには何が必要なのか。先ず考えられるのは、私ではない他者の証言だろう。私ではない他者がその出来事を目撃し、たしかに起こったと証言すれば、その出来事を私の主観的な思い込み(や妄想や幻想)に還元することはできなくなる。しかし、他方で(死すべき存在である)生身の証人は如何にも弱い存在である。買収されたり恫喝されたりすれば証言を撤回してしまうかも知れないし、証言せぬよう殺されてしまうかも知れない。身体から離れた証言も、シュレッダーにかけられたり内容が改竄されてしまう可能性がある。そうなれば、私が被った不幸や災難も、意味に辿り着く以前に事実性の準位で否定されてしまう! これでは生きる気も起きないし、死んでも死にきれないということになるだろう。そこで、不可視で不死の証人としての〈神〉が要請されるというのは納得できる。
よしもとばななの「ともちゃんの幸せ」という短篇で提示されていた「神」も、やはりこのような証人としての神だった;

「どうして私が? どうして私だけにこんなことが?」という身を裂かるような疑問を、今日も世界中で大勢の人が発している。そう、神様は何もしてくれない。ともちゃんのお父さんの目を覚まさせることもできなかったし、ともちゃんがレイプされているのを天からの雷かなにかで止めてくれることもなかったし、ともちゃんがひとりぼっちで病院の庭で泣いているのに、突然現れて肩を抱いてくれることもなかった。
三沢さんとともちゃんがうまくいくとも限らない。あるいは北海道に一緒に行くかもしれないが、ともちゃんの貧乳や乳首の黒さを見て三沢さんががっかりするかもしれないし、ともちゃんの持つ得体のしれない悟りの雰囲気が、彼をひかせるかもしれない。あるいは、その神秘にどこまでもひきつけられて、ふたりは結婚するかもしれない。結婚したって、ともちゃんがずっと幸せとは限らない。三沢さんもいつか、お父さんのように若い女と逃げてしまうかもしれない。
いずれにしても神様は何もしてくれやしない。
でも、それは神と呼ぶにはあまりにもちっぽけな力しか持たないまなざしが、いつでもともちゃんを見ていた。熱い情も涙も応援もなかったが、ただ透明に、ともちゃんを見て、ともちゃんが何か大切なものをこつこつと貯金していくのをじっと見ていた。
お父さんが秘書にひかれていくのを見て、とてもとても傷つき、夜中に何回も寝返りをうったともちゃんの胸の痛みを、丸く縮こまった背中を。小さいときには一緒に遊んだ場所で、幼なじみの欲望に打ちのめされたともちゃんの感じていた、固く嬉しくない地面の感触を、そのあとひとりで歩いて帰るともちゃんのぼうっとした悲しい顔を。
そして、お母さんが死んだとき、最高に孤独な夜の闇の中でさえ、ともちゃんは何かに抱かれていた。ベルベットのような夜の輝き、柔らかく吹いていく風の感触、星のまたたき、虫の声、そういったものに。
ともちゃんは、深いところでそれを知っていた。だから、ともちゃんはいつでも、ひとりぼっちではなかった。(pp.177-179)*2
デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)