- 作者: 川上未映子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/10/15
- メディア: 文庫
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川上未映子*1『すべて真夜中の恋人たち』を読了したのは先週のこと。実は、川上さんの小説を読むのは初めてだった。
2つメモしておく。
ひとつは〈恋愛小説〉としてのせつなさ。心的な現実としての恋愛というのは誰か特定の他者が私の心に侵入してきて私の心を搔き乱すこともいえるだろう。『すべて真夜中の恋人たち』で「わたし」の心は「三束さん」という50代の男によって搔き乱されてしまう。
また、この小説のテーマはエクリヴァン(書く人)の誕生ということでもあるなと思った。読む人から書く人へ。「わたし」(「入江冬子」)はフリーランスの校閲者。つまり職業的(プロフェッショナル)な読者である。但し、読まないようにして読む読者;
わたしは日に何度も、 三束さんの名前を検索した。
お酒を飲みながら、検索のページにアクセスして、三束、と入力してみた。いつも、どこかの地名らしいものと、それから研究者らしい若い男性の自己紹介文がでてくるだけだった。何度やっても、それは変わらなかった。あまりきかない名前だし、理系の文章が載せてあったからもしかしたら三束さんと関係がある人なのかもしれないと思ったけれど、そんなことは確かめようもなかったし、それにもし関係があったとしても、それはわたしには関係ないことだった。数十分かけて検索結果のページをどこまで辿ってみても、わたしが触れたい三束さんにはどうしても行き当たらないことを知り、そしてわたしは三束さんの下の名前も知らないのだということをあらためて思いだしてため息をつき、ページを閉じた。
何もすることがなくなると、わたしは三束さんの名前を紙に書いてみたりした。三束、三束と書いてみると、目のなかで文字が線になってばらけ、自分が何を書いているのかがふっとわからなくなって首をふり、それからまた日本酒を飲んだ。
何度くりかえしてみてもおなじ記事しかみあたらないのに、まるで日課のようになってしまった件策のおかげで「みかぼの三束雨」ということわざがあることを知った。群馬県にある、みかぼという山に入道雲がでてくると、麦を三束もたばねないうちに雷雨がやってくるという意味だと書かれてあった。さんぞくあめ、とわたしは口にだして言ってみた。山のむこうから空がみるみるうちに暗くなり低くなり、雷が鳴り、世界中の紙という紙を破るような音をたてて地面を打ちつける激しい雨を、わたしはぼうっとした頭で想像してみた。わたしは目にみえるもの、みえないもの、そこにあるすべてを押し流してしまうようなそんな激しい雨を思い浮かべてみた。そして、そこに傘もささないで立ち尽くしている三束さんを思い浮かべてみた。雨のせいで三束さんの表情はわからなかった。わたしは首をふって、パソコンの画面をとじた。(後略)(pp.193-195)
最後のパラグラフ;
(前略)
「……校閲の仕事を始めて最初に教えられるのは、その、そこに書かれてある物語を読んではいけないということなんです。……なんというか、小説でもなんでも、読んじゃだめなんです」
「読んではいけない?」
「はい。つまり、……どんな場合であっても、その文章にのめりこんだり入りこんだりすることは、校閲者には禁じられているんです」
三束さんは肯いた。
「……なので、わたしたちは物語をどれだけ読まずに……、もちろん校閲ですから、あらすじや前後関係や時系列なんかは徹底して読まなくちゃいけないんですけど、とにかく、感情のようなものをいっさい動かさないようにして、……ただ、そこに隠れている間違いを探すことだけに、集中しなくちゃいけないんです」
「なんだか、とても難しいことのように思えますね」と三束さんは言った。
「……たとえば小説の場合だったりすると、たぶん人の感情をどうしてもゆさぶるようにつくられているから、どうしても引きこまれてしまうこともあると思います。始めてすぐの頃は、文章の間違いを探すといったって、どこをどうみたり読んだりすればいいのか、全然わからなかったです」
(後略)(pp.114-115)
あと重要なのは、「石川聖」の存在。「三束さん」の登場は遅く、それまで「わたし」との関係を支配しているのは彼女なのだった。そのため、これはレズビアン小説なのかと最初は思ってしまった。また、「三束さん」が去ってしまった後でも、「石川聖」は「わたし」の生の「登場人物」であり続けている。
しばらくゲラのつづきをやっていると級に眠気がやってきて、わたしはパジャマに着替えてベッドに入った。眼を閉じて、暗闇のなかでぼうっとしていいたのだけれど、眠りに落ちるかと思えばそのまどろみのなかを何かがすっと通り過ぎてゆくのだった。寝がえりをうち、布団をかぶっても、何かがこちらをみつめているのがわかるのだった。わたしは枕もとの電気をつけ、目をあけてしばらくぼんやりとしていた。何が気になっているのだろう。さっきから何が。わたしは天井をみつめたまま動かなかった。しばらくそのままのかっこうでいて、あきらめて電気を消そうとしたときにそれが何なのかがわかった。それは言葉だった。手をのばして机のはじに置いてあって新しいノートと鉛筆を取り、ベッドに仰向けになったまま表紙をめくった。手のひらでノートの背中をささえ、最初の白いページをひらいたそこに、すべて真夜中の恋人たち、と書いた。それはただ、どこかに浮かんだ言葉だった。わたしはその文字とも文章ともつかない言葉をうすぼんやりとした光のなかでじっと眺めた。それはきいたこともみたこともない言葉だったけれど、いつかどこかで読んだりみたりした映画や歌のタイトルなのかもしれなかったし、わたしのなかのどこかからやってきた言葉なのかもしれなかった。わからなかった。わたしは光に照らされた自分の文字をみて、こんなふうに誰かの原稿でもゲラでも何でもない場所に、目的のない、何のためでもない言葉を書くのは、はじめてだと思った。それが何なのか見当もつかない、何のための言葉なのかさっぱりわからない、けれどわたしの胸にやってきてそれから消えようとはしないその言葉を、わたしはじっとみつめていた。ひとしきりみつめたあと、ノートを閉じて、枕もとの電気を消すと、淡い闇がまぶたのうらにやさしく広がっていった。光が去って、明日の朝また光がここを訪れるまでの短いあいだ、わたしはしずかに目を閉じた。(pp.349-350)