桐野夏生『水の眠り 灰の夢』

水の眠り 灰の夢 (文春文庫)

水の眠り 灰の夢 (文春文庫)

450頁以上ある桐野夏生*1『水の眠り 灰の夢』を3日で読了してしまった*2。1963年を舞台にした小説を2019年に読むのもまた興味深い。
主人公は29歳の「トップ屋」「村野善三」。彼は、東京オリンピックを1年後に控えた1963年9月初頭に、地下鉄銀座線で「草加次郎」の爆弾事件に遭遇する*3。彼は「トップ屋」として爆弾事件の取材を続けるが、これとは別に女子高校生殺人事件に巻き込まれ、一時は女子高校生殺しの犯人として警察に疑われる。物語(取材)が進むにつれて、「草加次郎」と女子高校生殺しとは密接な関係があることが明らかになる。一応推理小説なので、ネタバレを避けるために、ストーリーについてはこれくらいにする。因みに、これは〈探偵の敗北〉の物語といえるだろう。普通、本格派にせよハードボイルドにせよ、探偵小説というのは主人公=探偵が〈正しい推理〉、正しい犯人、正しい動機、正しい手口を呈示するものだけど、『水の眠り 灰の夢』において、村野善三は〈正しい推理〉には辿り着けない。
推理小説としての魅力のほかに、『水の眠り 灰の夢』は1963年の東京を描いた小説としての魅力がある。既に日本橋の上を首都高が突っ切っており、(その後のバブルや2度目の東京オリンピックを目指した都市改造*4による変容を被っているにせよ)私たちが眼や足で知っている東京ができた時代。その時代の銀座、(村野が住む)新宿二丁目*5、(村野の同僚である「後藤」が住んでいる)青山三丁目、神奈川県葉山、或いは殺された女子高生が住んでいた「吾妻橋を渡」った「左手」の「アサヒビールの工場」の「裏手」(p.101)*6といったトポスの雰囲気が興味深い。或いは、1963年を生きた元戦犯の右翼総会屋、小説家に転身しようとするトップ屋軍団の首領、大御所作家の息子であるレーサー/グラフィック・デザイナー、日本画の巨匠といった架空の人物たちの歴史的現実における参照関係も気になる。
最後の方で、「カー、ファッション、映画、翻訳小説などの情報が満載で、スキャンダリズムとは無縁の週刊誌」である『週刊ヤングメン』が創刊されたことを村野善三が知るが(pp.465-466)、まあ「解説」の井家上隆幸氏に指摘されなくても(p.474)、これは『平凡パンチ*7のことだとすぐにわかるだろう。その表紙のイラストを描いている、後藤と村野と三角関係にあった「大竹早重」のモデルは大橋歩さん? とはいっても、私は『平凡パンチ』がオシャレだった時代は知らないのだった。私が読み始めた頃は既に普通の高校生向けオカズ雑誌だった。まあ、『週刊プレイボーイ』よりは垢抜けていたけれど。