1972年生まれ

石原壮一郎「全国で唯一残った熱海秘宝館 クールな大人の嗜み方をガイド」http://www.news-postseven.com/archives/20150117_298485.html


曰く、


世界に誇る日本の文化はたくさんありますが、秘宝館も間違いなくそのひとつ。いわゆるクールジャパンってヤツです。元祖は1972(昭和47)年に三重県で開館した、その名も「元祖国際秘宝館」。やがて全国の温泉地に次々と誕生し、1980年代には全国に20館以上が存在していました。

 しかし、秘宝館を支えていた団体旅行の衰退と施設の老朽化で、21世紀に入ってから次々と姿を消してしまいます。去年3月に佐賀県の「嬉野武雄観光秘宝館」が、暮れには栃木県の「鬼怒川秘宝殿」が閉館。残っているのは静岡県の「熱海秘宝館」だけになりました。

別のテクストから引用すると、「秘宝館とは、1970年代から1980年代にかけて全国の温泉地などに開館した〈性愛をテーマにした博物館〉のこと」*1。最初にできたのが1972年だったのか。札幌オリンピック連合赤軍浅間山荘事件*2沖縄返還、或いは日中国交回復の年。思ったよりも新しい。もっと昔から存在していたのだと思った。1972年というと、俺が性に目覚めたのはその頃。だとしたら、「秘宝館」とともに〈性的人間〉としての人生を送ってきたことになる。しかし、「これまでに、三重、佐賀、大分、そして熱海の秘宝館を訪れましたが、そのたびに大切なことをたくさん教わりました」と述べる石原氏と違って、「秘宝館」に入ったことはない*3。それはただ、俺が社会の主流的なポジションに身を置いたことが殆どなかったからにすぎない。社会の主流にいる大人の男子は年に一度か二度、社員旅行や職場旅行の名目で温泉場に「団体旅行」に行くものだったのだ*4
最盛期の1980年代で「20館以上」というのも、思ったより少ない。また、この時期こそ、「秘宝館」の基盤だった「団体旅行」とか社員旅行といったものが衰退し始めたのではないだろうか。(関東以外ではわからないが)東京12チャンネルを初めとして、TVで温泉番組が目立ってきたのは1980年代。しかし、TVの温泉番組が指向したのは、団体バスや大宴会場に象徴されるようなメジャーな温泉場ではなく、しばしば「秘湯」といわれたようなよりマイナーな温泉場だった。そこで提案された旅行も、「団体」ではなく個人旅行や小グループ旅行だった。こういうのの起源は1970年代に遡るといえるだろう。昔『an-an』も『non-no』も旅行雑誌だったというと、若い方々は吃驚するかも知れないけど、その頃、〈アンノン族〉を落とすためには地酒の知識は必須だというような記事が『平凡パンチ』に載っていたのだ*5。というか、『an-an』や『non-no』を契機にして、女性の一人旅というのが一般化したといえるのでは? 「社員旅行」の方だけど、1980年代になると、景気のいい会社は海外を目指すようになった。悪名高き買春旅行。そして、天皇も替わりバブルも終わった1990年代になると、企業組織からゲマインシャフト的な側面が削ぎ落とされることになり、社員旅行という制度自体が衰退していく。
ところで、気になっているのは、どういう人が「秘宝館」を経営していたのかということ。1980年代の後半だったか、或る温泉場に近い寺の息子という人と飲む機会があって、そのとき一緒にいた或る宗教学者が、彼の実家は「秘宝館」をやっていると耳打ちしてくれたことがあった。それ以来、「秘宝館」→寺という偏見が離れないのだ。

*1:鈴木洋史「絶滅寸前「秘宝館」が20館から2館までに激減した理由の論考」http://www.news-postseven.com/archives/20140521_256031.html これは、妙木忍『秘宝館という文化装置』という本の書評。

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110206/1297010958 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20121019/1350608158

*3:見学すると見物する、どちらが妥当な動詞なのだろうか。

*4:地域によっては、町内会旅行であったかも知れない。

*5:いや、『週刊プレイボーイ』だったか。