「悲惨すぎる?」

柳広司*1「泣かない読書――灰谷健次郎『兎の目』」『図書』(岩波書店)841、pp.36-40、2019


ここで取り上げられている灰谷健次郎『兎の目』を読んだことはない。『兎の目』とは直接関係のない部分。


数年前、どこかの公立図書館が『はだしのゲン』の子供への閲覧制限を発表した。「絵が悲惨すぎて、子どもたちが心に傷を受ける」というのがその理由だ。
少し前の話になるが、文部省(当時)が丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を高校の現代社会の教科書から削除を指示したという新聞記事を読んだ覚えがある。削除理由は、これも「悲惨すぎる」というものだった。
だが、悲惨すぎる?
中沢啓治も丸木夫妻も、あるいは広島や長崎で原爆を経験した人たちはみな、口を揃えてこう言っているのだ。
「自分たちが目にしたものはこんなものではなかった」
丸木俊は自ら文部省に出向いて「悲惨な戦争から悲惨なものを除けということは、悲惨ではない戦争を教えろということか」と問いただしている。
先の戦争でアメリカ軍は広島と長崎に原爆を投下し、燃えたぎる釜の中で日本人を女子供の見境なく焼き殺した。と同時に、当時の日本の警察や憲兵は政府に反対する日本人を拷問し、独立運動に携わる朝鮮の人々を平気で虐殺していた。
子供たちは、自分の親や祖父や曽祖父が何をしたのか、彼らのみに何が起きたのかを正しく知るべきだ。殺した過去、殺された過去を知ることで、自分が殺すかもしれない未来、殺されるかもしれない未来の可能性に、子供たちは初めて気づく。己が持つ力を初めて自覚することになる。ちょうど、我々が子供の頃、虫や魚や両生類や小動物を自らの手で殺した記憶が、かれらを無意味に殺さないという選択へとつながるように。(p.39)

(前略)子供の頃、夢中になって何度も読み返した『シートン動物記』も、今読み返せばけっこうキツい話だ。子供の頃にこんな話を何度も読んで、よくトラウマにならなかったものだと驚いたくらいだ*2
(略)
子供に限らず若い読者は、無意識のうちに生き残る者たちに自らを重ねて物語を読む。やがて大人になるにつれて、滅びゆく者に自らを重ねて物語を楽しむようになる。『平家物語』の滅びの美学は、子供や、若い読者のものではない。
シートン動物記』や『はだしのゲン』は、むしろ子供の頃に読むべき本だ。
はだしのゲン』を読んで泣き出す子供がいる。「原爆の図」を見て吐いた子子供がいる。たとえそうだとしても、経験した者たちが口を揃えて語る通り、戦争の現実はこんあものではない。大人がやるべきは「悲惨すぎる」戦争を閲覧制限や記載削除で隠蔽することではなく、「悲惨すぎる」戦争そのものを無くす努力をすることだろう。(pp.39-40)
ところで、『千と千尋の神隠し』を怖がって、何度観ても最後まで観通すことができず*3、やっと観ることができるようになったのは6歳の誕生日を過ぎてから。
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