親族によって

「ろう女性40年間の沈黙 中絶、夫に秘密の避妊措置「本当は産みたい」」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190305-00010000-kyt-soci


京都新聞』の記事。妊娠中絶をせざる得なかった聾唖者の女性(現在70代)の語り。インタヴューは手話で行われたようだ。


小中高とろう学校で学び、卒業後に今の夫と出会った。夫もろう者。交際中、彼の母親から「早く早く」と促されて結婚した。夫は工場で働き、自身は和裁の内職や清掃の仕事で家計を支えた。
 79年、つわりに気づいた。当時30代。子どもをつくると夫婦で決めていたのに、同居していた義母は「お父さんが怒る」と顔をしかめた。義父は義母の再婚相手。夫と血縁関係はない。義父は「ろうの子どもが生まれ、(夫の弟が)結婚できなくなったらどうするんだ」と詰め寄った。義母も迫った。「産むのならば出て行きなさい。さあ、どうするの」。女性は、耳が聞こえなくても不幸だと感じたことはないのに、呼び戻された実家では母親まで「不幸な子どもが生まれたらかわいそう。堕(お)ろしなさい」と畳みかけた。
 ろう学校で聴者の言うことに従うようにたたき込まれていた。「やっぱり聞こえる人が優先。子どもをつくるなと言われたら、それは従うしかない。はい、と言うしかない」
 本当は産みたい。食べ物も喉を通らない。相談相手のいない孤独、苦悩、絶望…。1週間後、屋外をさまよっていると、小さな産婦人科が目にとまり、吸い込まれるように戸を開けた。
 「堕ろしたいです」
 筆談で伝えた。理由を尋ねる医師に「私も主人も聞こえません。親が反対と言って譲りません。私はもうこれ以上、苦しみたくありません」と説明した。医師はうなずき、その日のうちに手術は行われた。
 帰宅後、義母に「手術をしたよ」と告げ、2階で体を休めた。夜、仕事から戻った夫は「なんで堕ろしたんだ。僕に相談してほしかった」と激怒した。
 中絶を選んだのは夫への心遣いだった。障害があるが故に義父に疎外されて育った夫がふびんで、これ以上つらい思いをさせたくなかったのに、かえって夫を怒らせてしまった。赤ちゃんに申し訳なく、夫妻はもう子どもをつくらないと約束した。
 後日、母親から実家に呼び戻された。産婦人科に連れて行かれ、今度は避妊のためのリングを子宮にはめさせられた。やはり、聞こえる人の指示には逆らえない。「中絶の苦しみに比べたら、あきらめた方がいい」と観念した。亡き母と2人だけの秘密。夫は今も知らない。
優生保護法下においては、障碍者に対する強制的な不妊手術が行われてきたが*1、その多くは文字通りの強制であり、その実行主体は施設や地方自治体といった所謂〈体制側〉だった。しかし、上の女性の場合、妊娠中絶を強要したのも不妊手術を強制したのも、実の親を含む親族であり、最終的には「聴者の言うことに従」えという聾学校の教育によって、自発的に決断したことになっている。記事を読む限り、そこに〈体制〉は(少なくとも直接は)関与していない。このことは、彼女に屈辱だけでなく「弱み」という意識まで背負わせてしまった。このことが最もショッキングである。
さて、これも『京都新聞』の記事;

「障害者福祉の父」施設で強制不妊関与か


 
優生保護法(1948~96年)による強制不妊手術の問題で、障害者福祉の父と呼ばれる糸賀一雄が創設した知的障害児施設「滋賀県立近江学園」(湖南市、当時は大津市)の医師が52年に、10代少女1人の手術を県の審査会に申請していたことが、1日までに分かった。京都新聞の情報公開請求を受け、学園内で申請書などの文書7枚が見つかった。福祉施設側が障害者らの断種に関与した可能性を示す新たな資料だ。

 県は「医師個人でなく、近江学園として手術を申請した可能性が高い」としている。52年当時、糸賀は園長を務めていた。

 国の統計では滋賀県内で54~75年に少なくとも282人が手術を強いられたが、52年の記録は存在しない。県は同法関連の公文書の大半を廃棄済みで照合できる資料はなく、手術が実際に行われたかは分からないという。

 発見された申請書や健康診断書などによると、申請者は学園の男性園医。52年1月27日に少女を「遺伝性精神薄弱(白痴)」(知的障害の当時の呼称)と診断し、本人や保護者の同意が要らない同法4条による手術の適否を県優生保護審査会に申請していた。手術場所として県内の特定の病院を指定して希望し、少女の戸籍謄本を審査会に提出したという記述があった。

 学園によると当時、少女は約2年前に退園して県内の民間障害者施設に入所していた。家庭内や学園、施設の生活状況、遺伝関係を記した身上調査書には、同月11日付で「相違ないことを証明します」とする施設長の署名があった。

 文書に医師や施設長の印影はなく、学園は「申請後の控えでは」とみている。精神状態や発病後の状況などの項目もあるが、開示された文書の大半は県の判断で黒塗りとなり、内容は分からない。

 手術を申請した医師は故岡崎英彦氏。西日本初の重症心身障害児施設「びわこ学園」の初代園長で、障害者福祉に貢献した人物として知られる。

 厚生労働省が昨年、福祉施設などに手術申請書など個人記録の有無を尋ねた全国調査では、学園は「ない又(また)はない可能性が高い」と回答していた。今年1月に情報公開請求を受け、改めて学園内を調べて今回の記録を見つけた。開示は2月25日。

 近江学園は「非常に驚いている。まさか園の医師が手術を申請していたとは思わなかった」としている。

【おことわり】当時の公文書には現在使われていない不適切な疾患名や表現がありますが、記録性を重視し、かぎかっこに入れて表記しました。

【 2019年03月02日 08時42分 】
https://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20190302000026