猪皇帝

亥年なのだった*1


武田雅哉*2「熊さん八つぁん」『図書』(岩波書店)841、pp.16-19、2019


曰く、


正徳十四年(一五一九)というから、いまからちょうど五百年前のことである。その明の武宗皇帝*3は、いきなり、あるとんでもない*4お触れを発した。「民間ではブタを飼ってはならぬ。ブタを屠殺してはならぬ。また、ブタ肉を食べてはならぬ」と。
そのころ、精神に不安定をきたしていたともいわれる帝は、亥歳の生まれであった。猪と同音の姓であり*5、干支も亥なので、全国民が自分の肉を喰らおうとしているとの妄想にかられたのかもしれない。
干支といえば、新しい年は亥年だ。日本ではイノシシ年になっているが、中国はじめ、韓国やベトナムではブタ年である。食材としてのブタが、中国人の食生活にとって、とりわけ重要であることは周知のとおりだ。かくして全中国はパニックとあいなった。禁令をうけた全国の農民は、ならばいっそのことと、ブタをひそかに処分して埋めたり、肉を安値で売りさばいたりしたという。政府の重鎮も、寝耳に水の禁令にびっくり仰天。賢明なる中央政府の各部署は、宗教儀礼を正常にとりおこなうためには、ウシ、ヒツジ、ブタの三種の犠牲獣を捧げることが必須であり、ブタを欠くことで儀礼の秩序が崩壊してしまうこと、また「猪」と「朱」は音が似ているだけで、相互にまったく関係がないことなどをしたためた文書を上奏して皇帝高低を説得し、なんとか禁令は撤回させ、中国のブタ文化も危機を回避したようである。
中国の養豚の歴史をひもといてみるならば、似たような事件は、しばしば起きていたようだ。元の至元三十年(一二九三)の十二月のこと、農村部において、「お役所からブタを飼ってはならぬとの禁令が発せられた!」との怪情報が走ったという。これを聞いてあわてた農民たちは、飼っていたブタをことごとく屠殺し、とんでもない安値でブタ肉を売りさばかざるをえなかったという。
その元朝最後の皇帝、順帝は、ある夜、恐ろしい夢にうなされた。巨大なブタがやってきて、みやこ大都(北京)をつぶしたというのである。よほどこわかったとみえて、順帝は、さっそく養豚禁止令を発した。当時の歴史叙述においては、これは、明の太祖・朱元璋によって元朝が滅ぼされることの予兆であったというように、納得のいく解釈がほどこされるわけである。さらにさかのぼれば、十二世紀、宋の徽宗皇帝は、自分の干支が戌であることから、犬の屠殺と犬肉を食うことを禁じたという。わが犬公方・綱吉公*6の先達だ。(pp.18-19)