「徳川綱吉の再評価について」http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20130415/p1
http://news.merumo.ne.jp/article/genre/1180201を引用している*1。歴史教科書における徳川綱吉、或いはその「生類憐れみの令」の評価上昇*2。そして曰く、
そして、その後に塚本学『生類をめぐる政治』*3の詳しい紹介。
実際に教科書を見ていないので何とも言えないのですが、「綱吉政権による慈愛の政治」なんて露骨な褒め方を教科書で書きますかねぇ。綱吉政権の評価がここ30年ほどで大きく変化したのは事実ですけど、言えたとしても「生類憐みの令のような法令も一応合理的に解釈できる」という程度。あと、綱吉政権を「戦国の気風を残した武士の武装解除」として評価する動きもあるそうですが、それくらいのことなら、ちょうど30年前に塚本学氏が生類憐みの令と諸国鉄砲改めの共時性だとか、傾奇者が反権力の表現として犬を捕まえて煮て食べた話だとかを書いているので、割と今更感が。
生類をめぐる政治―元禄のフォークロア (平凡社ライブラリー)
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「鷹司信子」を藤原紀香が演じた『大奥 華の乱』もこういうノリだった。
綱吉は臣下だった牧野成貞の妻阿久里に手を出しただけでなく、その娘安子も無理やり自分のものとした。安子には婿の成時がいて彼は憤激のあまり割腹自殺を遂げている。さらに綱吉は、腹心の柳沢吉保の側室染子もわがものとした。吉保の嫡男吉里は、本当は綱吉の子ではないかという話が江戸の町を駆け巡る。東京大学史料編纂所の山本博文教授の話を聞こう。「吉保が綱吉の寵愛を得て11万石の加増を受け、さらには松平の姓と『吉』の字まで賜るという、異例ずくめの大出世を遂げたのは事実です。そこに染子の件が絡んで御落胤スキャンダルが流布したのでしょう」
巷間では、染子が綱吉との寝物語の際、吉里に甲府と駿府の2か国計100万石をねだったばかりか、次期将軍の座も所望したとされる。これを知った御台所の鷹司信子が、天下簒奪の危機とばかりに綱吉を大奥の「宇治の間」で殺害、自らも自刃して果てた――山本教授は断じる。
「確証がなく推測と邪推に過ぎないものの、綱吉の性的乱脈、彼と信子の死期が極めて近いのは事実です」
以来、宇治の間の廊下には幽霊が出るという噂が絶えなかった。十二代家慶がここを通ったとき、平伏する女中を訝り、「あれは誰か」と尋ねたがお伴には見えない。間もなく家慶は亡くなった……という俗説まで定着してしまったのだった。
http://www.news-postseven.com/archives/20101214_8014.html
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因みに、拙blogでは綱吉には一度しか言及していなかった*4。