日本兵の表象@中国

承前*1

劉文兵『中国10億人の日本映画熱愛史』(集英社新書、2006)から。

革命前(抗日戦争中及び終戦後)の中国映画における日本の表象は「残忍な日本兵のイメージ」が強かった(pp.110-114)。しかし、「日本兵」の表象は中華人民共和国成立後、「大きな変化を迎える」。つまり、「建国以前と比べると、いささかリアリティーを欠いた戯画的な存在として描かれる傾向が顕著になってくる」(p.114)。中国映画における「日本兵」表象の系譜については、武田雅哉『〈鬼子〉たちの肖像 中国人が描いた日本人』(中公新書、2005、pp.15-23)*2でも言及がある。

しかし、劉氏の意味づけは些か異なっている。曰く、「愚かで滑稽な日本兵のイメージは、たんに勧善懲悪の痛快さを増幅させる効果をもたらすためのものではなく、当時の中国の対日政策を反映したものであった」(p.116)。つまり、「「日本人民」と「日本軍国主義者」とのコントラストを際立たせる操作」(pp.117-118)――

一九五四年より『どっこい生きてる』(今井正監督、一九五一年)、『二十四の瞳』、『太陽のない街』(山本薩夫監督、一九五四年)といった反戦や資本主義批判をテーマとした日本映画を上映させることで、日本軍国主義の圧迫や資本主義の搾取に喘いでいる日本人民の姿を中国国民に提示するとともに、五〇〜六〇年代の中国映画のなかに登場する日本軍人は、かつての残虐さと恐ろしさのかわりに、その愚かさと滑稽さが強調されるようになったのである。そこには、日本兵を嘲笑の対象として描くことによって、残忍な日本人という従来のイメージを書き換え、中国の国民のなかに鬱積していた日本人にたいする深い憎悪を、笑いのなかで発散させようとする政治的意図が働いていたのだと思われる(p.118)。
反日〉というよりは〈反日〉の緩和。
また、劉氏が注目するのは、「佐藤栄作政権下の日本の右傾化にたいする批判キャンペーンの一環として、一九七〇年代初頭に相次いで中国で上映された『連合艦隊司令長官 山本五十六』(丸山誠治監督、一九六八年)、『あゝ海軍』、『激動の昭和史 軍閥』といった日本の戦争映画」(p.119)である。あくまで「批判の対象」でありながら、「長年にわたって娯楽から遠ざけられてきた多くの中国の観衆たちは、これらの日本映画のもつエンターテインメント性にも敏感に反応した」(ibid.)。劉氏が引用する戴錦華という映画研究者によれば、これらの映画において、「「極悪な日本兵」は、初めて日本文化の魅力を感じ取ることができる人間としてスクリーンに現れた」(ibid.)。「三船敏郎加山雄三中村吉右衛門宇津井健などが扮した日本軍人にたいして、当時の中国の観客たちは、残虐な敵にたいする過去の記憶が喚起される一方で、「映画的な魅力と感動」を覚えもするという、きわめてアンビヴァレントな感情を抱いたのである」(p.120)。日本海軍にはまったのは、例えば林彪の息子・林立果。父親のクーデタに加担した際、自らが率いた別働隊を「連合艦隊」と名付け、側近たちに「江田島精神」を説いたという(ibid.)。さらに、

(略)八〇年代の中国映画に登場する日本軍人の多くは、明らかに『激動の昭和史 軍閥』『あゝ海軍』のそれを模しており、一九八八年の時点でも、『連合艦隊司令長官 山本五十六』における三船敏郎の演技が、男らしさの典型として中国の映画理論家に取り上げられた。さらに、二〇〇〇年に製作された、中国北部の農村を舞台とした愛憎劇『鬼が来た』(原題『鬼子来了』姜文監督)のなかに日本兵が登場するシーンにおいて、陸軍であるという設定にもかかわらず、「軍艦マーチ」がライトモティーフとしてもちいられているのも、『あゝ海軍』のインパクトがいまだに残存している証左であるかもしれない(pp.120-121)。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070314/1173896916