承前*1
阿部純一郎「20世紀前半日本の人種・民族研究における「異種混交」現象への応答――自然/文化科学の境界線をめぐる論争――」『名古屋大学社会学論集』29*2、2009、pp.21-46
実はここからが阿部論文の本題。
第3節「「文化」から「エトノス」へ――岡正雄の場合」。先ず、
岡正雄についての資料はネット上にはきわめて乏しく、まとまったものとしてはWikipediaのほかには、紀伊國屋書店の『異人その他』(言叢社版)の紹介頁にある伝記的な記述くらいか*4。それによって、上の阿部氏の記述にコメントを加えると、岡は学位取得後の1935年に一旦帰国しており、ウィーン大学客員教授に招かれた1938年に再びウィーンに赴いている。
1924年に卒論「早期社会分化における呪的要素」で東京帝大文学部社会学科を卒業した岡は、古野清人・小山栄三・須田昭義・八幡一郎・江上波夫らとともに人類学Anthropology・先史学Prehistory・民族学Ethnologyの頭文字をとったAPEという研究会を結成する。1925年には柳田*3との共同雑誌『民族』を刊行し、『民族』休刊後はウィーン大学に留学、1940年の帰国後は、高田保馬が所長を務めることになる文部省民族研究所(1943)の設置運動のキーパーソンとして奔走した。(p.27)
岡正雄は、この論文で主に言及される3人のうちでは、現代日本の文化人類学、社会人類学への影響が最も強い人だといえよう。上では、岡の戦後のキャリアについては言及が省かれていているが、東京都立大学の社会人類学教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長を務めたからだ。
阿部氏は言叢社版の『異人その他』から岡のテクストを引用しているが、私の記憶では、その多くは岩波文庫版の『異人その他』には収録されていないようだ*5。
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つまり、ある特定の文化の伝播範囲は、人種・民族の範囲と一対一の関係にはなく、それゆえ「或る文化は常に排他的に或る民族に固有である」とか、「或る文化の所有者は必然的にその文化の創造者」であるとか想定できないという*6。単純にいえば、ある民族が創造した独自の文化と思われているものも、元をたどれば外来の借り物かもしれないのだ。
この主張は、「言語必ずしも人種民族を証明しない」(鳥居[龍蔵])という主張と、問題認識としては類似しているが、そこから引きだされる結論は全く異なっていることに注意しなければならない。つまり鳥居はここから、人種・民族の固有の姿を復元するためには体質を優先し、それをベースとして文化的資料を取捨選別し、積み重ねていくという手法に向かうわけだが、岡はそもそも、ある人種・民族固有の文化なるものが果たして存在するのだろうかというところまで行く。(p.28)
「民族」なき「民族学」――「文化の担い手または行為主体agencyへの関心が希薄」(ibid.)。
外来/固有文化という二項対立は脱構築される。つまり外来文化を取り除いていくと、本来の純粋な文化が残るという発想は放棄される。ここでは文化の混交性は、民族固有の文化が解体された状態ではなく、まさにその固有性を構成するものとして捉えられている。また、鳥居のいう固有性が、他から明確に区別された単一の実体(元素)としてイメージされていたのに対して、岡はそれを、複数の異なる文化圏が重層的に交差するなかで立ち現れてくる効果として押さえている。つまり、複合性としての固有性である。この固有の文化複合を成立させるのは、岡によると「人種の心性」などではなく、諸個人の心的相互作用としての「社会」*7である。だからこの「社会圏」は「人群圏」(=人種圏)とは一致しないし、ましてや文化複合の構成要素たる個々の「文化圏」とは全然一致しない。
こうして人種と文化の対応関係は、二点において切断される。第一は、個々の文化圏と人種圏との不一致、第二は、複数の文化圏の交差により「特異の複合相」を示している地平(=社会圏)と人種圏の不一致である。つまり文化複合の考察も、その要素たる個々の文化圏の考察も、所属人種の問題とは独立している。したがって岡によると、人種の証明は「生理学的解剖学的」な「自然科学的方法」に任せて、文化の研究も「徒に人種的興味に走」らず、「文化のみを対象として、その要素分析、型式分類、型式源流の問題のみを取扱ふ事」が必要だという(ibid:126)。ちなみに別の論考では、この棲み分けは、「方法的にも対象的にも全く異なる二部門が、或は体質人類学、或は文化人類学といふ名称の下に、人類学といふ同じ屋根の下に住まはなければならない理由はない」*8と表現されている。つまり、このあたりから人種=自然科学=体質人類学という発想がようやく確認される。(p.29)
「文化は文化から」(1928)――
「心理的な説明」の拒否。「文化」の「客観的構成物」としての性格。岡の学は「「民族」の学ではなく「文化」の学」、「民族学」というよりも「文化学Kulturogie」(p.30)。
「『人』は飽くまでも生物学的概念であり、而して『文化』を通じて『人』を考察するのでは依然として体質人類学ではないか。文化は人類の説明手掛かりとしてではなく、独立の対象として研究されてもいい筈なのである」*9。では、文化を「独立の対象として」研究するとは、いかなる方法論をさすのか。それは岡によれば、文化の考察において「人種の心性の平等性と同一性を仮定」し得る、つまり「人種の心性を無視し得る」(ibid.:104)ことを意味するという。(pp.29-30)
Cf. デュルケームの〈社会学主義〉。生理や心理の方法的排除(『社会学的方法の規準』)。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091103/1257222859 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091203/1259813849
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090601/1243821238
*4:http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4905913047.html
*5:とはいっても、現物が手許にない。
*6:「『日本新石器時代人研究』を読みて:人種対文化論への貢献」(1928)、p.124。これは清野謙次『日本新石器時代人研究』の書評。
*8:「文化は文化から」(1928)、p.101
*9:p.102