坪井正五郎論「人種」(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091004/1254657572に関連して。

阿部純一*1「20世紀前半日本の人種・民族研究における「異種混交」現象への応答――自然/文化科学の境界線をめぐる論争――」『名古屋大学社会学論集』29*2、2009、pp.21-46


このテクストでは、「昭和初期の人類学及び(民族)社会学の研究者が、民族接触・文化変容・雑婚・混血児といった現象に対処するために、いかなる方法論的戦略を用いたのかという問題」が検討される(p.21)。主に論じられるのは、岡正雄文化人類学)、小山栄三社会学)、金関丈夫(自然人類学[人種学])の3人。
第2節「人種と雑種」では、その前段階として、坪井正五郎鳥居龍蔵の所論が検討される。坪井正五郎に関する部分を抜き書きする;


(前略)日本人類学の創始者とされる坪井正五郎(1863-1913)は、西欧および日本における「人種」の用法を検討した論考で、体格や容貌といった身体的差異とならんで、言語や居住地や風俗習慣の相違なども「人種」の指標として用いられていると報告している(坪井,1893*3)。たとえば現在でも日常レベルで使用されているものに「黄色人種」という言葉があるが、坪井によると、当時はそうした「皮膚の色」に基づく分類の他にも、「国の名」に基づく「日本人種」とか、「大陸の名」に基づく「亜細亜人種」といった言葉も一般的に用いられていたという。
こうした「人種」概念の多義性は、坪井にとって人種分類人為性を語るものだった。つまり「人種」とは、その分類をおこなう論者の目的・関心に応じて適宜設定される操作概念なのである。そのため、そこで選択される指標が異なれば、「人種」の数や範囲も変わってくるし、ある基準からは同じ「人種」でも別の基準からは異なる「人種」とされる場合がある。こう考えると、結局「人種」という言葉は、ほとんど「人の群」(ibid:427)、つまりgroupに等しい意味しかもたないことになる。(略)「日本人種」とか「亜細亜人種」とかいう用法は、要するにnational groupもしくはregional groupとして了解しておけば足るのである。(p.22)
「19世紀末の日本人類学の草創期において、人種=身体的指標=生物学的分類という発想は、いまだ支配的ではなかった」。また、「坪井にとって、「人種」はどこまでも人為的な境界線でしかなく、いかなる基準を選んでも、それは人類の移動性や雑種性を固定化・単純化し、強引に分断してしまう」ことでしかない(p.22)。さらに、

(前略)坪井にとって、「人種」が人為的分類であること自体は何ら問題ではない。これが忘れられること、つまり自然な客観的世界を反映しているという実態主義的な想定こそ、最も危険なのである。こうした坪井のスタンスは、人類の学習性や移動性、そして混交性や雑種性にたいする確固たる状況認識によって支えられたものであった。(p.23)
坪井正五郎については、Wikipediaのほかに、


東京大学坪井正五郎資料」
http://cr-arch.chi.iii.u-tokyo.ac.jp/hdadb/collections/shogoro.html
岩手県二戸市『日本の科学者・技術者100人』の中
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/05/050/index.htm


また、「青空文庫」では3本のテクストが公開されている;
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1242.html

*1:以前阿部純一郎氏の「市民権の空洞化と〈同化〉論争――国民の境界をめぐるダイナミクス――」(『コロキウム』2)を採り上げたことがある。 See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246508928 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090709/1247114509 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090713/1247461327 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090827/1251340298

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090601/1243821238

*3:坪井正五郎「通俗講話人類学大意(続)」『東京人類学会雑誌』88、1893。