「チェリー」?

承前*1

ローリング・ストーンズロン・ウッドが40歳以上年下のガールフレンドと痴話喧嘩の末、彼女を殴って逮捕されたということで*2

森正人『大衆音楽史』には「間違いやおかしな表記が多すぎるんですよね」というコメントをいただいている*3ロン・ウッド逮捕がきっかけというか、ストーンズ絡みで、ちょっとこれはひどいミステイクをメモしておく。
白人によるレゲエの受容を巡って曰く、


レゲエがロックやポップスの聴衆に広く知られ始めるようになるのは、一九七〇年代中ごろだった。ビートルズ(「オブラディ・オブラダ」)、ローリング・ストーンズ(「チェリー」「オー・ベイビー」)、ポール・サイモン(「マザー・アンド・チャイルド・リユニオン」)らがレゲエのリズムを自分流にアレンジし直しながら、曲を作り始めた。一九七四年にエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が大ヒットすると、多くの白人ロック・ファンがレゲエのルーツに関心を持つようになり、ボブ・マーレィが広く知られることになったのである。(後略)(pp.211-212)
たしかに、クラプトン・ヴァージョンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の役割は大きい。が、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」は1960年代だろ。また、ロック・バンドによるレゲエということで、ZEPの” D'Yer Mak'er”を外すのはどうよということはある*4。それよりも問題なのは、「チェリー」と「オー・ベイビー」という2つのローリング・ストーンズの曲があるかのように書かれていることだ。実は、ストーンズの、(ロン・ウッドが初めて加入した作でもある)Black and Blueに収録されたのは”Cherry Oh Baby”という1曲。勿論、これはストーンズのオリジナルではなく(そんなのはアルバムにおける著作権のクレディットを見ればすぐわかる筈)、Eric Donaldsonによるもの。これは初期レゲエにおける名曲としてかなり有名な筈で、From Bam Bam to Cherry Oh! Babyというコンピレーション盤も出ている。やはり、これに関しては、u-cyu-jinさん*5のいう通り、「この本の著者は実際にその音楽に触れたのかはなはだ疑問です」と言わざるをえない。
Houses of the Holy

Houses of the Holy

Black & Blue

Black & Blue

From Bam Bam to Cherry Oh Baby

From Bam Bam to Cherry Oh Baby

ところで、1970年代におけるストーンズとレゲエとの縁というと、キース・リチャーズジミー・クリフ*6の”The Harder They Come”をカヴァーしていた筈*7